美人の憂鬱 1.暖かな冬

夢を見た。

 

薄暗いビルの中。壁も床も灰色に塗り込められている。ちょうど、コンクリート打ちっ放しの内装のようだ。手を触れなくても、ひんやりとした感触が伝わってくる。けれど、それが本当にコンクリートなのかどうか、私には分からない。

私は螺旋階段を昇って、ある場所へと向かっている。その場所をうまく説明することはできないけど、どの場所に向かっているのか自分にはよくわかっている。

 

マンションの郵便ポストを数日ぶりに開けた。

風俗店のチラシ数枚。ピザ屋のメニュー。クレジットカードの明細。美容院からのDM(5%の割引券、それに年末年始の休業のお知らせ)。そして、白い封筒。
差出人を見ると、朋美からの結婚式の招待状だった。金色の扇子型のシールが貼ってある。そういえば、夏に理恵子の二次会で会ったとき、来年結婚するとか言っていたような気がする。

小さい溜息をついてから郵便物をまとめて右手に持ち、エレベータに乗り込んだ。三階のボタンを押してから、もう一度静かに溜息をつく。
玄関の鍵を開けて部屋に入り、中からロックとチェーンをかけるとほっとする。
郵便物をリビングのコーヒーテーブルに放り投げ、鞄を床に置き、アクセサリー──ピアス、リング(左の中指と右の薬指の二つ)、ネックレス、腕時計──を外してトレイに置き、洗面所で手洗いとうがいをする。お風呂の湯張りボタンを押して、エアコンのスイッチも入れる。風呂上りに部屋が寒いのは、やってられない。
お風呂は、一日で一番寛げる時間だ。今のマンションに引っ越すまでは、追い炊き機能のないお風呂が冬は寒くて、よく近所の銭湯に行った。
銭湯は好きだ。広くて、お湯が文字通り溢れるほどに潤沢で、それにいろいろな女の裸が観察できる。それで数百円は安いと思う。でも、銭湯でもう暑くて暑くて耐えられない、というほどに温まっても、家に帰るまでに身体が冷え切ってしまう。
ミルクの香りのバスソルトを大量に入れて、湯船に浸かる。と、途端に全身の血が通い出す。
分厚いタイツを履いていたのに、足の指先が冷えていたことがよく分かる。
メイクを落としながらマッサージをして、身体中の血液が一巡りし、毛穴から汗が吹き出してくるのを、待つ。バスソルトで白く濁ったお湯を通して、自分の腹や脚を眺めた。歳を取って張りがなくなってきたのは哀しいけど、ムダにぱつぱつしていない今の自分の身体は、嫌いじゃない。
たっぷり一時間お風呂に入った後、暖房で暖められたリビングで缶ビールを飲む。おつまみは、週末にスーパーで買ったパックのキムチ。白い革張り(ただし、フェイクレザー)のソファに脚を投げ出し、クッションを背もたれにして寛いだ。クレジットカードの明細をチェックした後(先月コートを買ったから、かなりの金額になった)、朋美からの白い封筒を開いた。
淡いピンクの可愛らしい招待状。
朋美っぽい。
桜の模様が入っているので季節外れな、と思っていたら、三月の挙式だった。年明けに新しくオープンするらしい結婚式場の名前と地図が入っている。そういえば、三月にもう一件、高校の同級生の結婚式の予定が入っている。気づいたら、眉間に皺が寄っていた。

私は来年、三十になる。

 

髙島屋と郵便局とJTBに行ってきます、と言って、ホワイトボードに帰社予定時間を書き込み、コートをつかんで、鞄に年賀状とスマホと財布が入っているのを確認して、外に出た。今日はボスが出張で留守にしているので仕事がはかどる。年賀状を完成させたし、年明けの海外出張スケジュールも大体調整できた。秘書という仕事は、毎日毎日同じ繰り返しを毎年続けるわけだけど、私はこの単調な仕事が嫌いじゃない。
オフィスビルの外に出ると、北風が冷たくてコートの襟をかき寄せた。マフラーと手袋も持ってこればよかった。オフィスの窓から見える青空は暖かそうに見えるけど、こうやって見上げていると、どう見ても冷たい青としか思えない。
かじかむ手でスマホを取り出し、着信履歴画面を開いて電話をかけた。
数回コール音がして、「もしもし」という低い湿った声がする。
「もしもし。今外に出られたわよ」
私がそう言うと、近くのスターバックスで待つように言われて電話が切れた。スマホをコートのポケットに滑り込ませて、歩いて数分のオフィスビルの一階にあるスタバを目指す。

昼下がりのスタバは、ビジネスマンでいっぱいだ。普段なら学生も少し見かけるけど、もう冬休みに入っているのだろう。くたびれたおじさん達ばかり。
ラテのショートをカウンターで受け取り、窓際のソファ席に向かう。黒のカシミヤのコートをさっと脱ぎ、ソファの背もたれに掛けた。店内のおじさん達の視線が、私に集まるのがよく分かる。ベージュのタイトスカートのスーツも、黒いタイツに包んだすらりと長い脚も、足首をきゅっと締めている九センチのハイヒールも、そりゃあおじさん達の目にはとっても魅力的に映るに違いない。ボルドー色のソファに脚を組んで座り、熱いラテをゆっくりとすすった。おじさん達の視線に気づかないふりをしながら。
ラテを半分くらい飲んだとき、澤村さんが横断歩道を渡ってこっちに向かってくるのが見えた。ダークグレーのコートの襟を立てて、寒そうに早足で歩いている。私に気づくかと思って少し首を伸ばしてみたけど、一目散に店の扉を目指しているようでこちらには目もくれなかった。
彼が扉を開けて店内に入ると、スタッフの「こんにちはー」が一斉に聞こえてくる。澤村さんは、店内の空気が暖かいのにホッとしたのか、きゅうっと上げていた肩をすとんと下ろして、それからようやく店内をぐるりと見渡した。私が左手を軽く上げると、澤村さんは右手を小さく振ってから、大股でカウンターに向かう。

澤村さんの歩き方はいい、と私は思っている。
背筋をすっと伸ばして、大股でさっと歩く。姿勢がいい。

立っている姿もカッコイイと思う。軽く足を開いて、両足に均等に重心をかけてきちんと立っている。もちろん、立つときも猫背になったりなんかしない。背の高い彼が、ますます大きく見えるような立ち姿だ。
ショートサイズのマグカップ(多分中身は「本日のコーヒー」だと思う)を赤いランプのカウンターで受け取って、颯爽と早足で私のいるテーブルに向かってきた。
「こんにちは」
私はビジネス用の笑顔を見せて(受付でとても評判がいい。オフィス街にいるときは、この笑顔が一番馴染む)、ソファに掛けていたコートをどかし、自分の座っているソファの背もたれに置いた。
「そのコート? こないだ買ったって言っていたやつ」
「そう」
澤村さんは隣のソファに腰掛けて、さっそく一口コーヒーを飲んだ。
「本日のコーヒー?」
「そう」
私の口調を真似て、澤村さんが答える。私は自分の予想が当たったことに、心から満足する。
澤村さんは私のコートの袖を触って、いいカシミヤだね、と言う。彼と付き合うようになってから、服でも鞄でも靴でも安物を買わなくなった。
「クリスマス、空けられるよ」
澤村さんがマグカップをテーブルに置きながら言った。澤村さんの左手首に、ロレックス(金ぴかのヤツじゃなくて、文字盤が黒のシックなステンレス)が光っている。いいものをきちんと使う、というのも澤村さんの美点だと思う。
「ホント?」
私は、自分の声がひどく弾んだ響きを持つように、注意深く発音した。私の嬉しそうな声で澤村さんが喜ぶように。
「さやか、行きたい店ある?」
「そうねぇ。それじゃ、こないだ駅前にオープンした和食かな」
私は、先月雑誌で見たお店の写真を思い浮かべながら、答えた。料理はオーソドックスな懐石だけど、店内の内装が赤と黒でモダンなお店。
「クリスマスに和食?」
「いけない?」
澤村さんは苦笑しながら、いいよと答えた。こういうときの彼は、絶対に私の希望を聞いてくれる。
「じゃ、予約入れておくね」
すっかり冷めたラテを飲み干して、私は立ち上がった。
「もう行くの?」
「この後、郵便局に行かなきゃいけないの。髙島屋でお使い物も買わなきゃ。四時から来客が入ってるから、それまでに戻りたいの」
コートを羽織ってボタンを留め、共布のベルトを締めた。
澤村さんは不満そうな顔で私を眺めていたけど、私がじゃあねと言って去ろうとすると、そのコートさやかに似合っている、とにやりと笑った。

おととしは、フレンチ。
去年は、私の部屋でキムチ鍋。

部屋にキムチの匂いが充満して、なんだか辛い空気の中でセックスをしたのを思い出す。
道ですれ違う人の中には、私をちらちら盗み見る人がいる。ときには、あからさまに凝視する人も。彼らは、まさか今私がキムチ臭い部屋でのセックスを思い出しているなんて、想像もできないのだろう。そんなことを思うと、少し笑えてくる。

郵便局で振込みを終え、年賀状を投函し、髙島屋に回った。店舗内はクリスマスの装飾一色で、店内の音楽もクリスマスソングが絶えず流れてくる。地下の食料品売り場で菓子折りを買う予定だが、その前に上のフロアに寄り道することにした。
今年のクリスマスプレゼントは何にしよう。
私は、相手に何が欲しいのかを確認するのは、野暮だと思っている。彼が何を好きで、何を欲しいと思っているのか、あるいはもらってみるととても嬉しいものとか、そういうことを想像して店を回るのが好きだ。そのうえで、私のセンスの良さが伝わるような、何か。私の思惑通りに彼が手にして大喜びしたときの達成感は、ちょっとほかには替えがたい。
さらに、さりげなく彼が持ったり使ったりできるものじゃないといけないから、選ぶのはなかなか大変だと思う。
モンブランのショーケースを覗き込むと、大変だと思いながら、ちょっと楽しそうな顔をしている自分の顔がガラスに写った。

「さやかさん、今年のクリスマスはどうするんですかぁ?」
マリが甘ったるい声で質問した。
さっき髙島屋で余分に買って、秘書室の皆に配ったマカロンのように甘い。しかも、ピンクのラズベリー味のやつ(それも、甘酸っぱいやつじゃなくて、容赦なく甘いやつ)。グリーンのピスタチオ味を食べながら思った。
役員も来客も少ない午後の秘書室は、穏やかで静かで日当たりも良くて、温室のよう。紅茶とマカロンの匂いに、受付に置いた胡蝶蘭の香りがときどき混ざる。
「うーん、レストランで食事をするくらいかな?」
さっきの澤村さんとの約束を思い出しながら、答えた。にやけないように注意しながら。
「カレシとですか? ですよねぇ」
いいなぁいいなぁと連呼しながら、マリはラズベリーのマカロンをかじった。マリのふわふわと巻かれた毛先が日に透けて、茶色く揺れる。くるん、と上向きになった睫毛から、ぱしぱしという音が聞こえてきそうだ。
カレシとね、と口の中でつぶやいて、来週のスケジュール表を完成させるべくパソコンの画面に向き直った。

 

ペディキュアは、濃い色と決めている。
南天みたいな赤。チョコレートのようなブラウン。濃い鶯色。
少々角質の手入れが不充分でも、足の白さを際立たせてくれる。
風呂上りに缶ビールを飲みながら、床に座って屈みこんで足の爪に集中する。今日選んだ色は、黒に近いボルドー。古いワインみたいな色をしている。
テレビで、お菓子メーカーのCMが流れた。パイプオルガンで鳴らしたクリスマスソングをバックに、クリスマスケーキがいくつか映し出される。あんなホールケーキ、自分で買うことないんだろうな。苺の生クリームのケーキのアップの後、ブッシュドノエルが映った。ペディキュアを塗る手を止めてリモコンでチャンネルを変えると、今度はスーパーマーケットのCMで、家族四人がすき焼き鍋を囲んでいる映像が出た。和牛のセール。
もう一度リモコンを持って、テレビの電源を切った。

和食のお店ならクリスマスは空いているだろうと思っていたのに、店内はカップルでいっぱいだった。それでもクリスマスの飾りつけがされているわけでもなく、料理もいたってきちんとした和食で(ただし、クリスマス限定メニューとかいうコースしかオーダーできなかった)、外の浮かれた雰囲気が流れ込んでこないのは好ましかった。澤村さんが、いつも通りに日本酒を飲んでいるのも、よかった。
「澤村さんの食べ方って、好き」
海老しんじょの椀を味わいながら、私はしみじみと言った。柚子の香りが清々しい。
「何、急に」
「こういうお店だと、お酒味わいながら上品に食べるでしょ? でも、うちでゴハン食べるときは、がつがつってカンジに食べるじゃない。お店でがつがつされると恥ずかしいし、自分で作ったゴハンをちまちま食べられても、美味しくなかったのかな? て心配になるし」
「ああ、そういうこと」
一足先に椀を食べ終えた澤村さんは、静かに蓋を戻した。
「さやかの作る飯は旨いよ。そりゃがつがつ食うさ」
「うちに来ると、セックスで消耗するし?」
「そうそう」
目を合わせて、二人でくつくつ笑う。

ホントは、店で気取って食べているよりも、自分の部屋でいちゃつきながら、寛いでゆっくりしている方が楽しい。おつまみを用意して、ビールやワインや日本酒を空けながら、二人とも服らしい服を着ず、常に身体のどこかが相手の体温を感じているような、そんな時間の方が。
とはいえ、澤村さんは珍しく食べ方がきれいな男性だし、高級店でも安い居酒屋でも楽しみ方を知っている。せっかくそんな男性と付き合っているのなら、外デートも楽しみたい。
澤村さんも、いつだったか「さやかを連れて歩くのは楽しい」と言っていた。
理由を聞くと、「連れていると自慢できる」からという。
私は、自分が男にとって連れて歩きたい女であることを、嬉しく思う。

料理はどれも美味しかった。天麩羅はとても上手に揚げられていたし、鮑は小ぶりだけど柔らかく焼かれていたし、デザートの抹茶のアイスはうっとりするほど濃かった。
澤村さんはもっぱら私の話を聞いていて、ときどき仕事で知り合った妙な人の話とか(真冬なのに滝のように汗をかいている営業マン)、学生時代に留学していたニューヨークの話とか、ぽつんぽつんと点のように話していた。
本当は、澤村さんの声が好きだからずっと彼の話を聞いていたいのだけれど、彼は彼で「さやかの話を聞くのは楽しい」と言って私に話をさせる。そんなことを言われてすっかり喜んでしまう私は、まんまと彼が楽しめるようにと話し続けてしまう。
食後のお茶を飲みながら、私は澤村さんに小さい水色の箱を渡した。ティファニーのカフスボタン。袖口を見るたびに私を思い出すように。澤村さんが大笑いするので何かと思ったら、澤村さんの鞄から出てきた小箱も水色だった。ティファニーのブレスレット。星のチャームがいくつか付いた、私には可愛らしすぎるのではないのかと思うほどキュートなやつ。お互い、手首を見る度に相手のことを思い出す。幸せな偶然に、私も大笑いした。
日本酒とご飯ですっかり身体が温まり、店の外に出ても寒さを感じなかった。冷たい空気が頬を刺すけど、むしろ心地いいくらい。
「これからどうする? もう一軒行く?」
それともうちに来る? という言葉をぎりぎりで飲み込んで、澤村さんの目を覗き込んだ。
「いや、今日は帰るよ」
真っ直ぐ私の目を見返して、にこやかに微笑みながら澤村さんは言い渡した。残酷なほど爽やかに。
帰ってほしくない、という言葉も飲み込んで、それでも悔しいので不満そうな顔をする。今度ゆっくり遊びに行くから、と言いながら、澤村さんは私の腰に手を回して軽くぽんぽんと叩いた。私が無茶な我儘を言わないと知って、彼は平気でこういうことをする。
「タクシー、一緒に乗っていく?」
澤村さんが、そう聞いてきた。後部座席に並んで座り、指を絡めあって(ときには掌をくすぐりあって)乗るタクシーは魅力的だったけれど、もうちょっと飲みたいから、と言って店の前で別れた。
「気をつけて。あまり遅くならないように」
窓ガラス越しに澤村さんが手を振る。私は微笑んで手を振り返す。

澤村さんの乗ったタクシーが他の車の波に呑まれて見えなくなる頃、私はすっかり酔いが醒めていた。

私のためのティファニーを取り出したサムソナイトには、奥様のためのクリスマスプレゼントも入っているのだろう。
私へのプレゼント選びと同じように──ひょっとするとそれ以上に、何をあげれば喜ぶのか、楽しみながら捜したのだろうか。ハンドバッグに入れた水色の小箱が嘲笑う声が聞こえるような気がする。

私は期待していたのだ。
クリスマスの夜、一晩中私と過ごすことを澤村さんが選ぶことを。
おととしは、まだ付き合う前で、フレンチレストランでのデートもクリスマス当日じゃなかったと記憶している。澤村さんを、いいな、と思ってはいたけれど愛情には程遠く、無邪気に「奥様へのプレゼントはどうされるんですか?」とか質問した覚えがある。
去年は初めてのクリスマスで、それで私の部屋でゆっくり過ごすことにした。人目を気にすることなく、じっくりいちゃつけるように。私の希望通り、それはそれは甘い時間を過ごせたのだけど(キムチ鍋の辛さと反比例するように!)深夜帰宅する澤村さんを見送って、ベッドの中で少し泣いた。
今年は、もう帰ってしまった。
時計を見ると、まだ宵の口と言ってもいい時間なのに。
カシミヤのコートの襟を立てて、駅の方へ向かった。
ひとりの部屋へ帰ろう。今飲んだら、間違いなく悪酔いする。明日も仕事なのだ。

 

年末の秘書室は、それなりに忙しい。
年末のご挨拶と称して、いろいろな人が入れ代わり立ち代わり訪れる。彼らは一カ月もしないうちに、今度は年始のご挨拶と称して再びやってくる。来なくてもいいのに。挨拶をするしないに関わらず、年は規則正しく去って、また新しくやってくることを、彼らはどうやら気づいてないらしい。
普段は若い子達だけでお茶出しが充分回っていくけれど、年末年始と株主総会の時期だけは秘書室総出で来客対応しなくてはいけない。ジャケットは洗い物に邪魔だから椅子に引っ掛けておいて、七部袖のシャツ一枚でいると、温室のような秘書室内も少し寒い。
秘書室の隣の小さい給湯室。フル回転でお湯を沸かす電気ポットの前で、急須の中で早く美味しく茶葉が開くように、睨みつける。
「第二応接室、片付け完了しましたぁ」
シュークリームのように甘く賑やかな声を立てながら、マリが給湯室に入ってきた。お盆に湯呑や茶托をどっさり積んでいる。右腕には大きな紙袋が引っ掛けてある。
「ご苦労様」
「さっきのお客様、これ秘書の皆さんでどうぞですって」
マリがウキウキした声で紙袋を示した。
「デメルのホールケーキですよ! 三時のおやつに切りますね」
マリの語尾には全部ハートマークがついているように聞こえる。私は「嬉しいわね」と言いながら、心の中では舌打ちをした。気の利いた人なら、この忙しい時期、切らずに食べられる個包装のお菓子でも持ってくるのに。しかも年末で頂き物が重なる時期。慌てて食べなきゃいけない生ケーキより、日持ちのするものの方が断然ありがたい。
「あれ、さやかさん、それ!」
ようやく出たお茶を湯呑に入れる私の手元を覗き込んで、マリがまた嬌声を上げた。役員室と応接室に響くから大声を出すなと、いつも言っているのに。
「そのブレス、ニューですよね! カレシからですかぁ?」
「そうよ。クリスマスプレゼント」
マリが、きゃーとかわーとか言っているのを聞きながら、暖かいお茶を少しずつ湯呑に注いだ。左の手首には、カルティエのタンク(何年か前のボーナスで買った)に重ねるように、星のチャームが揺れている。
澤村さんの思惑通りに、手を見るたびに彼のことを思い出して、にやけてしまう。
存外人間は、単純にできている。
奥様に、澤村さんが何をプレゼントしたのかは考えないようにして、玉露の香りを鼻腔いっぱいに吸った。