かぐやひめのものがたり 四 大伴の大納言の従者は

おっと、お偉いお殿様。
困るなぁ、お殿様の乗られている馬の脚で泥が跳ねて、俺の小袴が汚れちまいました。なんとかしてくださいませんかな。

もともと汚いなりだから、少々の泥くらいどうということもあるまいだって?
お殿様、そりゃあない。糊の取れた地味な狩衣なんぞお召しになっているが、お殿様はたいそうなご身分の方でしょう? 身をやつされていてもわかる者にはわかります。
みくびってもらっちゃ困りますな。こちとらさるお方にお仕えしている身。貴族って方々を間近に拝見する機会なんかいくらでもあります。
俺の目に狂いがなければ、お殿様は貴族中の貴族。殿上人か、はたまた上達部か……。そんなお方ですから、俺のような小者の小袴のひとつやふたつ、弁償していただくのなんぞ苦になりませんでしょう。

いやいや、どこの誰にお仕えしているかなんて、おいそれと口には出せません。お殿様もそうでしょう。お付きの方がぺらぺらとお殿様のことについて吹聴して回るような真似をしたらお困りになるはずで。お見受けするに、お殿様はご聡明で雅な方と拝察いたします。さぞやお付きの方へ気を配られ、きちんと教育されているに違いない。

は。なんですかな、これは。……なんとまぁ、立派な硯箱! 水干くらい誂えられようだなんて、とんでもない! 大臣がお召しになるような束帯だって購えましょうぞ!
いやいや、まったくお恥ずかしいことを申し上げました。こんな高価な物を頂戴するわけにはまいりません。

なに、この硯箱の代償として、俺がどこのお邸の者か教えろと? ははは。お殿様も酔狂なお方だ。
とはいえ、俺がお仕えしている殿はもっとおかしなお方。大伴の大納言様です。ご存知ですか? ふふふ、それはそうでしょう。輝夜姫の一件で、すっかり世間に名を知られてしまいましたからね。
大納言の邸に詰めず、なぜこんな白昼に市中をぼんやりうろついているのかって? お殿様は本当に変わったお方だ。どうしてそんなことをお知りになりたいのですか。まぁ、うちの殿の件を聞きたがるお人は多いですから、わからなくもないですが。話し始めると長うございますよ。構わない? それでは道すがら申し上げましょう。

大伴の大納言のお名前をご存知なら、輝夜姫の名もご存知でしょう。ええ、絶世の美女として有名になった女人ですよ。
なぜそんなに輝夜姫は有名になったかって? お殿様、以前東の市であった見世物をご存知ない? それはそれは……。あれをご覧になっていない方が京にいたとは驚きですな。
ふぅむ、そこから話すとまったくもって話が長くなりますゆえ、輝夜姫の住まいを訪ねるとよいでしょう。京の外れに、讃岐造という翁が住んでおります。輝夜姫はその翁に育てられたとの由。私なんぞでは門前払いを食うばかりですが、お殿様のようなご立派な方であれば讃岐造もあなおろそかにしますまい。輝夜姫についての詳細は、その翁にお訊ねになるのがよろしかろうと。

それはさておき、うちの殿の話です。お殿様と違って、うちの殿は無骨で無粋で、風流とはまったく無縁の方。
京に都が遷る前の乱世であればまことに頼もしい殿でしょうが、今のご時世にはそぐわないお人。弓だの剣だのいかめしい道をお好みで、大声で従僕を怒鳴り散らす。手蹟も歌もお世辞にも上手とは言えず、趣味も悪く派手であれば良いと思っている。
この頂戴した繊細な細工の硯箱、俺のような者でも良い物だとすぐにわかりますが、うちの殿はお気に召しますまい。おそらく、金銀が足らぬだの地味だのとケチをつけると思われます。まったく、どうしてあの殿が大納言にまで出世されたのか。ご先祖の功労で官位が決まる世の中というのも、いかがなものかと思いますな。いやいや、余計なことを申しました。
まぁそんな無粋な殿ですから、当然のように好きとは無縁なわけですよ。いかにも当世風の貴公子然とされているお殿様と違ってむさくるしい感じのお方なので、女人にもてるわけがありません。何しろ宮中の女房達は、ちょっと無粋な真似をするお方を拝しては「あれでは大伴の大納言様のよう」などと言っているというではないですか。お邸に北の方をお迎えになって、あとはどうでしょうなぁ、長年お仕えしてまいりましたが頻繁に通うような女人はいないと言ってもよいかと存じますよ。

そんな方ですから、輝夜姫の評判を聞いて「儂も輝夜姫に逢いたい」などと仰ったときには、邸内の者皆びっくりいたしましたよ。あの殿が色めいたことを! 殿が讃岐造の邸に赴くと言い出したときは、皆面白がって車副の役目を争いました。私ですか? 幸いくじ引きで勝ちましてね。初めて殿が讃岐造の邸にお出ましになる際、お供をすることができました。ええ、よく憶えていますとも。奇妙奇天烈な経験でしたから、今でもはっきり思い出せます。

先ほども申し上げましたとおり、讃岐造の邸は京の外れにあります。大納言ともあろう方であれば、そんな場所に──しかも女人の許へ行くのですからひっそりとお出ましになればいいのに、まるで禁中にでも行きかねないような立派な車とお供で出かけられました。そりゃ公卿様の派手な行列ですから、皆注目していました。ですがうちの殿はそんなことにはちっとも構わずご機嫌で、車の中から大声で「噂の輝夜姫とやら、今夜にでも娶おうぞ」などと私どもに話しかけるのです。いやはや、実に恥ずかしい道中でした。
ところが殿のそんな意気込みをよそに、ふふふ、讃岐造は殿を受け入れませんでした。輝夜姫はおろか、讃岐造すら顔を見せません。いかめしい門番が通せんぼして、「何人も通ることはまかりならん」とそれ一点張りです。殿のお怒りといったら……。一応お忍びのはずだったのに、「儂を誰と心得る! 大伴の大納言ぞ!」と自ら名乗って門番を罵倒する有様です。
けれど屈強な、そして卑しい門番は、相手が大納言だろうが大臣だろうが関係ないのでしょうな。「どんな身分の方でもお通しするなと讃岐造様のご命令じゃ!」と怯む様子などちらりとも見せませんでした。これではいかんと思いまして、俺はこっそり金子を握らせながら「なんとか取り次いでほしい」と下手に出たのですよ。ええ、もちろん俺としても屈辱です。公卿の邸に仕える身分という矜持がありますからね。それが、金はあるかもしれんがどこの誰ともわからん男に雇われた門番に、猫撫で声で頼むのですから。とはいえここで何とかせねば、殿が怒り狂うのは目に見えていましたから。
しかし門番は、俺のことを鼻で笑いました。俺が渡した金子の額を見て「讃岐造様からはもっと頂いておるわい」と言い、そう言いながらもちゃっかり金子を懐に押し込みやがったのです。まったく腹立たしいといったら。
脅してもすかしても門番の態度は変わりませんでした。あまり長時間門前に居座っても人の目がありますから、俺達は殿を諌めて邸に帰ることにしたのです。浮かれていらっしゃった往路と違って、帰り道での殿のお怒りようといったら……。讃岐造だけでなく、「うぬらが脳なしだからこんな目に遭うのだ!」などとこちらにもとばっちりがきまして。まったく、くじに当たったことを心から後悔しましたよ。

あれだけお怒りでしたから、殿はもう輝夜姫のことなんぞ諦めるかと思っておりました。しかし、殿中の方々の間でも輝夜姫の評判が高いのが気になるらしく、「誰それが輝夜姫の話をしていた」「某も讃岐造の邸に通っているらしい」などと度々仰っていましたね。それを聞いていた俺達は「またしても輝夜姫の許に行くなどと仰るのではないか」などと話しておりました。
嫌な予感は当たるもので、あれだけお怒りになっていたくせに、しばらくすると「讃岐造の邸に行くぞ」などと仰り出す始末で……。そのときの随行は、やはりくじ引きで決めました。今度は勝った者ではなく、負けた者がお供をしましたがね。

その頃の讃岐造の邸の様子ですか? それはものすごい混雑ぶりでしたよ。市の賑わいなんぞ及びもしません。
どの身分の男も門前払いを受けて、その後男達は築地の破れ目からなんとか輝夜姫を覗き見ることはできないかと腐心しておりましたね。隣近所の木に登り、邸内を見ようとする不埒者もおりましたよ。卑しい人間もいましたが、貴い方も大勢いらっしゃいました。うちの殿のように派手な車で乗りつける方もいらっしゃいましたし、どう見ても高貴な方が身をやつされている方も、そう、お殿様のような方もいらっしゃいました。なんにせよ異常なまでの騒ぎでしたね。俺にしてみれば、輝夜姫がどれだけいい女か知りませんが、噂だけでそこまで時間と労力を費やせる人の気持ちがわかりませんな。
まぁ、そう思う人はほかにもいたようで、讃岐造の邸周辺の馬鹿騒ぎも日に日におとなしくなっていきました。本当に愛しい女なら夏の暑さや冬の寒さも堪えられましょうが、どんな貴人も相手にしないような女を待ち続けることなんて普通の神経ではできませんよ。結局最後まで残ったのは、我こそはとお考えになったであろうご身分のある方ばかりでしたね。うちの殿と、どなたでしたかな、右大臣様、親王様もいらっしゃいましたかな。

そこで合点がいきましたよ。ははぁ、讃岐造とやら、とんだ狸親父だな、と。
噂をばらまくだけばらまいて、食いついてきた男は全部蹴散らし一番身分の高い方に輝夜姫を娶らせようと、そういう魂胆があったのかと思い至りました。
さて思惑通り偉い方々ばかりが残って狸親父はどうするのかと見ていたら、「帰れ」の一点張りだった門番があるとき「いついつの何刻に来るように」と言うのです。
それを聞いた殿の喜びようといったらありません。しかし、俺達従者は揃って首を傾げました。そりゃ大納言様ですからご身分は申し分ないでしょうが大臣よりは劣りますし、親王様の中には美男子として評判の方もいらっしゃったはず。なぜうちの殿が呼ばれるのだろうと、皆不審がりました。

そのわけは、讃岐造が指定した日にわかりましたね。その日も俺はお供をしました。殿のお供で何度も讃岐造の邸に出かけましたが、門の中に入るのはあの日が初めてです。
邸の様子ですか? 何と申しましょうか……。普通の寝殿造でしたよ。いや、普通というか……。こう見えても俺は殿のお供であちこちの貴人のお邸に出入りしていますからね、物の良し悪しなんぞわかる身分ではないですが、それでも自然と目が肥えてくるものです。門構えなんかの普請を見て、たいそう行き届いた方だなとか、ずいぶんと凝った造りを好む方だなとか、家の主人の人柄がなんとなくわかるんですよ。
讃岐造は……。なんというか、一言で言ってしまえば成金趣味でしたね。御簾の縁取りが見ていて恥ずかしいほど派手だったり、そのくせ妻戸の板は安っぽかったり。門や屋根は立派に作ってありましたが、車宿りは粗末だったり。やっと輝夜姫を娶れると浮かれた殿には申し訳ないのですが、俺は意気消沈するばかりでした。

しかし車宿りに着いたら仰天しました。なんと、他にも貴人の牛車が何台かあるのです。うちの者達も他の方々のお供も、皆ぽっかーんとした顔をしていましたね。牛飼童や俺以外の車副と日取りを間違えたか? などと話し合った覚えがあります。いやそんなはずはないし、それにしたって他の男も呼び入れるとは、狸親父は何を考えているのかとさっぱりわけがわかりませんでした。
その夜に何人呼ばれたかって? そうですね……。最終的には五台牛車が入ってきたと思います。大して広くもない車宿りですから、ぎゅうぎゅう詰めでした。こんな狭い思いをして一晩過ごさねばならんのかと、途方に暮れましたよ。
いいえ、結局は一晩待つことはありませんでした。数刻すると、五名の貴人達は揃って車宿りに戻ってみえたのです。もちろん、うちの殿も。皆さんの表情を拝見するに、どの方も輝夜姫と契りを交わされた様子なんぞありませんでしたね。うちの殿もむっつり黙り込んで、ご機嫌斜めの様子でした。いったいどうしたことなのか、わけがわからないまま夜半に邸に戻りました。

理由がわかったのは、翌朝です。うちの殿は、邸中の従者を呼び集めて大号令をかけました。
「昨晩、輝夜姫は求婚者達に結婚の条件を出した。儂に出された条件は、竜の頸にかかっているという五色に光る玉を持ってこいということだ。それを取って儂に献上する者は、何でも願いを叶えてやるぞ」
ははは、笑えるでしょう。殿の気分屋なところや無茶を言うところは今に始まったことではないですが、竜の頸の玉を持ってこいなどと荒唐無稽な命令は初めてです。その場の者は、口に出さずともいったい殿は何を言い出すことやらと皆の顔に書いてありました。
仕方なく、古参の従者が恐る恐る申し上げたのです。
「殿の仰せ事はたいへんありがたいことでございます。しかし、普通の宝玉でも手に入れるには難しいのに、ましてや竜の頸の玉などどのように取ればよいのかわかりかねます」
俺は心の中で拍手喝采です。皆も同じだったと思いますよ。よくぞ言ってくれたってね。けれど、殿は大音声でその従者を叱り飛ばしました。
「自分の主君の命令に対し、命を投げ出してでも実現させようと思わぬのか! 唐や天竺の物でもあるまい! この国の海や山からだとて竜は天に昇り降りするというではないか! それをなぜお前は手に入れ難いなどと言うのだ!」
まったく困った殿です。仕方なく、意見を言った従者も「それでは仰せのままに」と言うしかありません。それを聞いたら殿はころっと機嫌が直り、
「なに、うぬらはこの大納言様の従者として世間に知られておる。そなた達にできぬことなどないわ。邸の蔵の絹や銭など、道中に必要な物は好きなだけ取っていけ。うぬらが戻るまで、儂は精進潔斎して待っておる。竜の頸の玉を取るまでゆめゆめこの邸に戻ってくるでないぞ」
などと言うのです。
殿の御前を辞した俺達は、やれ困ったことだなぁ、物好きなお人だなぁなどと文句を言いながら今後について相談しました。すると先ほど殿に意見を言った古参の従者が
「皆、必要な旅費を蔵から持っていくがいい」
と言うのです。皆驚いて、
「そなた、まことに竜の頸の玉なんぞを取りに行くのか?」
と訊ねると、彼は飄々としたものでした。
「誰も手にしたことがない物なんか、何年かかっても持ち帰られるはずがない。とはいえ主君の命令には背けない。それなら竜の頸の玉を取るまで邸に来るなとの仰せに従って、金子を頂戴して竜退治に出るふりをして、おのおの旅に出るなり家に籠るなり好きなことをしておればよいではないか」
これに反対する者など居やしません。俺も分け前を頂いて、大納言様のお邸に参上しない日々が続いているというわけで。旅に出るのも難儀だし、こうして都でぶらぶらとその日暮らしを楽しんでいるというわけです。

一度だけ、殿の邸の近くまで行ったことがあります。殿が北の方を離縁なさったという噂を聞きましたからね。それに驚いて様子をこっそり伺おうかと思ったのです。あの変わり者の殿にお仕えするだけあって、北の方はできたお方でした。殿が恥ずかしい振舞いをなさっても耐え、殿を支えてこられた方です。邸の者は皆北の方を尊敬しておりましたよ。そんな方をあっさり離縁されるとは、殿もまったくなんということをなさるのかと驚き呆れました。
しかし、邸まで行くともっと呆れました。輝夜姫を迎える準備のつもりなのか、北の対が改装されている様子なのです。それが……、ふふふ、失礼。思い出すだけで腹が捩れるほど笑えてきます。
お殿様も一度くらいはご覧になったことがあるのでは? 築地越しに見える北の対の屋根ときたら色とりどりの糸で葺かせてあって、悪趣味極まりない有様です。あれを見たら讃岐造の邸も上品に思えてくるから不思議です。
屋根だけでそう思うのですから、内装はひどいものでしょうな。最初は北の方に同情申し上げたのですが、こんな殿とご縁が切れてお幸せかもしれんと思い、俺は邸に入らずそのまま帰りました。
聞くところによると、色とりどりの屋根は烏や鳶が巣材として持っていってしまうから、今ではたいそう荒れた屋根になっているそうですな。

なに、俺達従者の帰りがあまりにも遅いから、大納言様自ら竜退治に出かけたですって? それでどうなったのですか? 失敗して帰京された、と。
ははは。それはそうでしょう。威勢はよくても所詮はうちの殿のことです。竜の退治なんぞできるたまではないですからな。

その様子では、手ぶらで邸に戻ってもお咎めを受けることはなさそうですね。頃合いを見計らって参上してみます。
ありがたい知らせを頂き、お殿様のような方に巡り会えたのは望外の喜び。
なに、この硯箱のおかげで当分食いつなぐことはできそうですし、まだまだしばらくはこの気楽な生活を堪能することにしますよ。