かぐやひめのものがたり 二 大炊寮の役人は

はぁ、この爺に何かご用でございますか?
お見受けしたところ、あなた様はたいそうご身分がおありの方のようですな。
私めはしがない下働きの身ですから、何かお訊ねになるようなことがございますなら、頭か助にお話しいただいた方がいいかと存じますが……。なに、そこまでの官位はおありでないと? いやいや、こんな爺でもですね、内裏に出入りなさる方々を遠くから拝見する機会はいくらでもある。どれくらいの風格の方がどの程度の身分の方か、長い間大内裏におりますとなんとなく察しがつくものでございますよ。

なんと、大炊寮の中の誰でもない、この私とお話をされたいと。これはまた驚きましたな。いったいぜんたいどういうことでしょう。

貴いお方と直接お話しさせていただきますことなど、長年役所に勤めておりましても滅多にあることではございません。長官である頭ですら顔を拝することもそうはないこと。長く生きておりますと奇妙なことに出会いますな。結構ですとも。今はちょうど手が空いております。喜んでお伺いいたしましょう。

おや、ずいぶんと手の込んだ硯箱ですね。なんと美しい。こんな立派な細工物をお持ちということは、やはりあなた様は……。なに、これはあなた様のお持物ではない、と。では、いったいどなた様の? なぜわざわざ私めに、こんなたいそうな物を見せていただけるのでしょうか?
石上の中納言様の! おお、それはそれは……。ええ、ええ、中納言様のことは存じ上げております。何しろ石上の中納言様は、私めが直接お言葉をかけていただいた唯一の公卿でいらっしゃいますから。
考えてもごらんください、頭もせいぜい従五位。ああ、この爺が貴族をつかまえてせいぜいだなんておこがましいもいいところですね。しかし、その頭とお話しすることすら叶わないこの私が従三位にもなる雲の上の方にお言葉をいただいたのですよ。そのときの私の感激といったら……。

そのときの仔細でございますか? そりゃあもう、昨日のことのように覚えております。おそらく、死ぬまで忘れることはないでしょう。
ほら、寮のその壁をご覧ください。屋根に燕の巣の跡がありましょう。毎年、燕が多く飛んできて、なぜか決まってその壁に巣を作るのですよ。糞の始末は大変ですが、雛がぴいぴい鳴く様はやはり愛らしいものですな。親鳥を呼ぶ声を聞くと、ああ春だなぁと毎年思うものです。
いつぞやかの年も、多くの燕がせっせと巣作りをしておりました。その年、ちょっと様子が違ったのは、卵が産まれるかという頃に、壁にたいそう高い足場が組まれたことです。
ええ、そりゃ驚きましたとも。長年ここにおりますが、そんな珍妙なことは初めてでした。しかも、大の大人がその足場によじ登って、燕の巣を覗き込んでいるのです。何十人もいましたね。いったい何の騒ぎかと驚きのあまり、そこにいた、足場に登っている人々を監督している風情の方についつい訊ねてしまったのです。
すると、燕の子安貝を探しているというではないですか。燕の子安貝とは何か、あなた様はご存知でいらっしゃいますか? そうですか、ご存知ないと。
ええ、私もそんな物があると初めて聞いたものですから、重ねて訊いたのですよ。すると、燕が卵を産むときに一緒に貝を産むのだなどと教えてくだすったのです。
はて、長年燕の様子を見ておりましたが、燕が卵を産むのを見ても貝を産むとは一向に知らなくて。世の中にはまだ知らぬことが多いものだなぁと思った覚えがあります。
まぁそこで私もここからさっさと引き上げてしまえばそれで終わった話なのでしょうが、あまりにびっくりしたものですから、ついつい差し出た真似をしてしまったのですよ。「こんなに騒いでは、燕は巣に帰りませんよ」と申し上げてしまったんです。

すると、あちらにいらっしゃった貴人が私めの言葉を聞きつけて駆け寄ってみえたのです。私と話していた方は「石上の中納言様なるぞ」と慌てて教えてくださいました。そりゃもう、心の臓が止まるかと思うほどにびっくりいたしまして、顔から血の気が引きました。そんなご身分の高い方がこのような場所にいらっしゃるだなんて、予想もしておりませんからね。急いで平伏したところ、また驚かされましたよ。石上の中納言様は私に顔を上げるようお命じになり、しかも直々にお訊ねあそばされたのです。
「私はなんとしても燕の子安貝を手に入れたいと考えておる。そなたは燕にたいそう詳しいようだ。どうかそなたの知恵を貸してくれ」
そう仰せになりました。
中納言様ほどのお偉い方が私めのような卑賤の者に知恵を貸せなどと、これはたまげました。居丈高なご様子などちっともおありでないのです。お声は高く細くていらっしゃって、雲の上の方とはこのようなひっそりとした話し方をなさるのだなぁと思った覚えがあります。始終怒鳴り散らしている我々庶民とはおよそかけ離れているものだな、と。
おそるおそる拝見したお顔は細面で、青白いほどでいらっしゃいましたね。お背もそんなに高くないようにお見受けしました。周りの従者達が立っていると、囲まれている、という感じでございました。なるほど、力仕事などとはご縁のない貴人とは、こんな風貌になるのだなぁと思いました。あなた様も左様でございましょう? 上背は中納言様よりおありのようですが、色の白さ、手の美しさ、そして所作の優美さ、私どもとはまるで別世界に住むお方。そんな雲の上の方が偉ぶったご様子なんぞ見せずに、私のような者にものをお訊ねになるとくれば、驚くなという方が無理でしょう。私は夢中で申し上げました。
まず、こんなに大仰な足場を組んで、しかも大勢で巣を見張っていては燕が怯えてしまいます、と。事実、そのときも何羽もの燕がくるくると屋根の上を飛んでいたのですよ。巣に戻らなければ卵を産みようがないですから、足場を崩すよう提案いたしました。そして皆巣からなるべく離れて、一人だけ綱を結わえた籠か何かに乗って待ち、燕が卵を産んだらその籠を引き上げて、急いで探させたらよろしかろうと進言いたしました。

燕の様子は中納言様より知っているつもりではありますが、何しろこの爺のような無学の者の言葉なぞ、お聞き流しなさるに違いないと思っておりました。すると、驚いたことに中納言様は「なるほどなるほど」としきりに感心なさったように私めの言葉をお聞きになるのです。
ええ、それはもう、真剣なご様子でした。およそ官位のある方は──それこそここの頭も含めてですね、こんな爺の話なんぞろくに聞きもしないものですが、あのお方は違いましたね。真面目に私めの言葉をお聞きになったばかりか、「そなたはたいそう立派な知恵がある」とまで仰って、本当に私の言葉通りに足場を崩して籠を用意するようお付きの方にお申しつけになるのですよ。まことに仰天いたしました。ええ、それはもう。私は事の成り行きにおののいて、ぶるぶる震えておりました。
しかし、私の驚きはそこで終わったわけではありません。呆気に取られている私めに、中納言様は重ねてお訊ねになるのです。
「燕はいったいどういうときに卵を産むのじゃ? 何をもって判断し、人を引っ張り上げたらよかろう」
この爺の感激をお察しくだされ。雲の上の方が私めの言葉をお聞き入れになるばかりか、重ねてご下問なさるのですよ。今まで長い間生きておりましたが、あれほど昂ぶったときはありませんな。私は感激して申し上げました。燕が卵を産むときは、尾羽をさし上げて七度ぐるぐる回るようです。それを見計らって籠を引き上げ、子安貝をお取らせください、と。なに、それくらいのこと、長年こうやって仕事の合間に燕の様子を見ていればわかるものです。
すると中納言様は、私の言葉にひどく喜んでおられました。
「そなたは儂に仕える者でもないのに、儂のために何ともはや貴重な知恵を授けてくれた。そなたのおかげで儂の念願が叶えられそうじゃ。まことにありがたい」
そう仰せになり、中納言様はお召しになっていらっしゃった直衣をお脱ぎになって、私めにご下賜くださったのです。

あなた、そのときのこの爺の感激をご想像なさい! 日頃はこのような襤褸同然の安物を着ているような身分の者ですぞ。それが公卿のお召しになる直衣を頂戴し、この手に乗せたときの私の気持ちといったら……!
それはもう滑らかな絹で、表は白、裏は赤の布で仕立てられておりました。なに、それは桜の直衣というのですか。ははぁ、そんな雅なこととは無縁の暮らしなものですから。そうですか、桜の色目というのですか。確かに白と赤が重なり合って、桜のほんのり色づいた風情に何やら似ている様相ですな。
しかもその布地には、よくよく見ると細かな縫い取りが施されているのですよ。白地に白の絹糸で。なんと贅沢な話じゃないですか。
あなた様は拝見するに、中納言様の直衣に負けず劣らずご立派なお召し物を着ていらっしゃる。私めにはようわかりませなんだが、ともすればその直衣の縫い取りは、中納言様から頂いたものより豪華なようですな。そんな高価なものを日頃から着慣れていらっしゃる方には私の驚きなぞおわかりにならんでしょうが、そりゃあもう、天女の羽衣に触れたほどに感激したものです。
おまけにほんのりと良い香りがするではないですか。貴族の方々はお召し物に香を焚かれるとは聞いておりましたが、なるほどこんな香りになるのかと感心いたしました。美しい衣装と芳しい香り、それに麗しい貴人が揃った内裏は、それは壮観なものなのでしょうなぁ。

中納言様ですか? ええ、畏れ多いことながら、私の申し上げた通りに足場を崩させ、お付きの方々を皆巣から遠ざけさせていらっしゃいました。すると塩梅よく燕達も巣に戻りましたから、粗籠に従者のお一人を入れて、それを縄に括りつけ、いつでも引き上げられるように準備させておいででした。私は、自分が申し上げたことがどうなるのか心配で、中納言様の従者に紛れるようにして事の成り行きを見ておりました。そうこうしているうちに日が暮れ、辺りは暗くなってしまいました。あまり明るいのも燕を刺激しますから、お付きの方々がお持ちになる紙燭の小さな灯りだけで、頼りのうございましたね。
燕は卵を産んだのかって? ええ、何羽か産んでおりましたよ。その度にお付きの方が乗った籠はえいやっと引き上げられ、籠の中の方は燕の巣の中を探っておいででした。そりゃあ難儀な様子でしたよ。だってあなた、綱一本で吊られた不安定な籠で、あんな高い場所まで引き上げられているんですよ。しかも、卵を産んだばかりの燕は、巣を探られて気が立っている。籠に乗った方はしたたかに燕に突かれて、泣きそうな声で「何も見つかりません」と言っていましたね。

そんなことが何度か繰り返されていると、温厚そうな中納言様も次第に苛々なさってきたご様子でした。私めに直々に感謝のお言葉をかけられたお優しい方が、「そなたの探し方が下手くそだから見つからないのだ」などとお叱りになっていらっしゃいましたね。相変わらずお声は細く高くていらっしゃるので、まぁ何と申し上げればいいのか。威厳がないというと不遜ですな、怖くはないとでも申し上げればいいのですかね。ご叱責されても恐ろしい感じではありませんでした。しかし、日頃から温厚な方でそんな風に苛立たれるのはお珍しいのか、従者の方々も中納言様のご様子におろおろされていました。皆さん、中納言様には忠誠を尽くされているのでしょうなぁ。私めなどの言葉をお聞き入れになるほどの方ですから、きっと皆に慕われておいでなのでしょう。
そうこうしているうちに、中納言様はご自身で籠に乗るなどと仰る始末で。もちろん、お付きの方々は、皆さん必死で中納言様をお止め申し上げていましたよ。あんな高さまで不安定な籠に乗って登るなど危のうございますからね。しかし、まぁ……。ふふふ。こんなことを言ってはなんですが、小柄な中納言様が籠にお入りになっているご様子は、なるほど従者のどなたよりも上手く燕の巣をお探りになることと思われました。ふふふ。私めがこんなことを言っておったというのは、ここだけの話にしておいてくだされ。

それからのことは、あまり思い出したくありませんな……。しかし、あなた様の仰ることももっともです。噂に尾ひれがついて、あの事故のことを面白おかしく言う輩が多いのも確か。本当のところはどうだったのか、あなた様がお知りになりたいのもよくわかります。

中納言様が籠でじぃっと息を潜めてお待ちになっていると、一羽の燕が尾をぐるぐると回しました。それを見てお付きの方々が綱を引いて籠を上げ、中納言様はお手ずから巣の中を探っていらっしゃいました。何しろ辺りは真っ暗なうえ、怒った燕達が容赦なく突き回りますから、たいそう苦労なさっているご様子でした。
しかし、燕の鳴き声の合間に、中納言様の甲高い声が響いてまいったのです。「儂は何かをつかんだぞ! 早う籠を下げぬか!」それを聞いて綱を持っていた従者達は籠を下ろそうといたしました。けれど、あろうことかその籠に結わえてあった綱が切れてしまったのです。

いいえ、中納言様をお乗せしたせいではございますまい。中納言様は小柄で細いお方でした。中納言様が籠に乗られる前に、屈強そうな従者が乗って何度も昇降させておりますからね。綱が弱かったのか、結わえ方が悪かったのか……。
今となっては、籠や綱についてもあれこれ申し上げればよかったと後悔しております。中納言様も、貴人にお仕えする方々も、どうすれば重い荷を難なく運べるかなぞ、普段お考えになることなどないでしょうからねぇ。あまり差し出た真似をするのもどうかと思って控えておりましたが、あんなことになるのならお仕置き覚悟であれこれ申し上げればよかったと思いますよ……。

はい、あの辺りからです。中納言様はずいぶんと高い場所で籠から放り出され、運が悪いことにそこに置いてある釜にぶつかって、したたかに地面に打ちつけられてしまわれました。お付きの皆様の慌てようといったらございません。血相を変えて中納言様の許に駆け寄られました。私もあまりのことに驚いて、お付きの方達に交じって中納言様の安否を確認いたしました。
中納言様の息は止まっていらっしゃるご様子でした。白目になって、既にお命がないかと……。しかし、従者の一人がお水を差し上げて介抱するとなんとか息を吹き返されました。とはいえ暗い中でもお苦しそうな様子が伝わってまいります。「お加減はいかがですか」とお付きの方が声をかけると、息も絶え絶えに「意識はなんとか戻ったが……、腰が痛い、動かぬ」と仰せになりました。あれだけ勢いよく落下されたのですから、腰だの背だのの骨が折れたのでしょうな。
しかし、私めも含めて皆が仰天しましたのが、中納言様はそんな瀕死のご様子でいらっしゃるのに「それでも子安貝を取ったぞ。嬉しいことだ。貝を見たいので、紙燭を持て」と仰るのです。慌てて従者が灯りを持ってまいりますと、中納言様はたいそうお苦しそうですが、なんとか頭を上げて握っていらしたお手を開かれました。
そこに貝はあったのかって? いいえ。中納言様のお手にあったのは、燕の糞ですよ。すっかり乾いてしまった古い糞です。
お付きの方がそれを見て、非常に申し上げにくそうに「殿、これは貝ではなく古糞かと存じます」と言うのをお聞きになると、それまでなんとか気丈そうにされていた中納言様はまた意識を失ってしまわれました。ただでさえ白いお顔は真っ青に血の気が引いて、ああ、これはお命に関わるお怪我だなとこの爺でもわかりましたよ。

その後ですか? さあ。私は知りません。お怪我をされた中納言様は、従者達が唐櫃の蓋にお乗せしてお邸に運んでいきました。私は頂いた直衣を手にして、ぼんやりとそれを眺めているしかできませんでしたね。あのときのお怪我がもとでお亡くなりになったと、後日聞きました。
中納言様から頂いたお召し物ですか? あれは家に置いてあります。妻は、これは市でたいそう高値で売れると言って喜んでいたのですが、私はあれを人手に渡す気にはとうていなれません。中納言様のお形見として、死ぬまで大事にしたいと思っています。燕が子安貝を産むなど酔狂なことを信じていらっしゃった方ですが、こんな爺にもお優しい方でいらっしゃったのですから、さぞやお邸の皆様にも慈悲深くいらっしゃったのでしょうなぁ。きっとお付きの方達は皆中納言様をお慕い申し上げていたと思いますよ。そうでなければ、燕の子安貝探しなど馬鹿げたことに付き合うものですか。

この硯箱ですか? とんでもない、私めが頂く筋合いなんぞはございませんよ。しかるべきご縁の方にお譲りするのがよろしかろうかと。
ええ、私にはあのときの、何でしたかね、桜の直衣で充分過ぎるほどです。