かぐやひめのものがたり 十六 輝夜姫は

中将様、お忙しいところわざわざ弘徽殿にまでお越しいただきまして、恐れ入ります。
飛香舎の方へは……? 左様でございますか。いえ、飛香舎より先にこちらにお越しになるようですと、中宮様のご気分を害してしまうのではと心配いたしまして。

一の宮様、二の宮様。中将様はお母様とお話がございますの。後で遊んでいただきなさいませ。誰ぞ、宮様方をお連れして。しばらく人払いさせなさい。
ほんに宮様方は中将様によく懐いていらっしゃる。中将様に直に仰いませんけれど、女一の宮様も中将様が弘徽殿にお越しになるのを楽しみにしていらっしゃいますのよ。大人におなりあそばしたら中将様にご降嫁になってはいかがと申し上げますと、可愛らしい頬が赤く染まりますの。たいそう愛らしゅうございますよ。
本日は尚侍様に贈り物を、と……? まぁ、何でしょう。

素敵な織物ですこと。鮮やかな秘色に見事な縫い取り。唐渡りの物でございますか。たいそう結構な物をいただきまして、ありがとうございます。
本当に、関白様や中将様には感謝してもしきれませぬ。讃岐造の翁では後宮暮らしの支度なぞ無理でございますし、いくら主上にご配慮いただいても限界がございます。関白様にこうしてご支援いただかねば、宮様方にご不便をおかけしてしまうところでございましたわ。
この織物、宮様方の瞳の色によう似ております。ええ、女宮様にも。宮様方のご装束に仕立てるのはいかがでございましょう。さぞや黄金の髪に映えるお着物になると思いませぬか。

そうでございますわね、宮様方は私によく似た容貌をなさっておられる。どなたも仰います。なんと母上にお生き写しなのでしょう、と。
主上のお血を引かれているのですから、もう少し暗い色の髪と瞳をお持ちになってお生まれあそばすかと思うておりましたが。けれど、性格は主上によく似ておいでです。どの宮様も真面目で、正直で、素直でいらっしゃいます。きっと、今私のお腹にいる宮様も、姿は私に似て性格は主上に似た御子になるのでしょう。
あら、私の懐妊の件はまだお聞き及びではございませんでしたか? てっきりもうお耳に入っているかと。はい、あと半年もすればお生まれになるかと。

ほほほ。ありがとうございます。けれど中将様、お言葉とは裏腹にお声はおめでたそうではございませぬよ。確かに宮様のご誕生はおめでたきことなれど、できれば私の腹ではなく中宮様からお生まれいただきとうございましょう?
いいえ、ご否定なさらずとも結構でございます。当然のことでございますもの。中将様の妹君でいらっしゃる中宮様がご懐妊なされば、それは嬉しく思われることでしょう。なかなか中宮様は御子に恵まれませんようで、淋しゅうございますわねぇ。私の母も多産だったそうですから、私はそういう体質なのでございましょう。

私の母でございますか? 中将様も市でご覧になったことがあるのでは? あら、お出ましになりませんでしたの。都中の貴族方がこぞってお出かけになったと翁は申しておりましたが、いい加減なことを言いますこと。
母君がかような目に遭うとは、まことにつらかろうですって? まぁ、中将様はほんにお優しいお方。そのように仰ってくださる方なぞ、今までおりませんでしたわ。貴族の誰もが心の内では卑しい出自よと蔑んでいるのだろうと思うておりました。中将様のようなお優しい方もいらっしゃると思えば、どんな侮蔑にも耐えて主上と宮様方にお仕えする勇気が湧いてくるというものです。

けれど、中将様。母はああいう死に様に相応しい生まれだったことは確かですの。
母は、奴隷でした。

母の生まれは、唐よりはるか西の地と聞かされました。その地は唐、胡、南蛮とさまざまな民族が支配権を争い、昔から戦が絶えなかったそうです。東の国とも西の国とも関係ない人々の住処ですのに、幾度となく侵略され、男は殺され女は凌辱されたそうですわ。ほほほ。唐や新羅から攻められることのないこの国では、想像もつかないことでしょう。海に守られたこの国は、母の故郷の人々からすれば極楽のごとき平和な土地に見えるに違いありませぬ。
そうやって東西南北の血が混じった母の故郷は、たいそう美貌の者ばかりが生まれたそうです。そうなると侵略してくるのは軍ばかりではございませぬ。奴隷商人も争ってその土地へやってきて、人狩りを行うのです。彼らが商う奴隷とは、この国の奴婢とは違いますのよ。牛馬と同じように、人が市で売買されるそうですの。若く美しければ高値で、老いて醜ければ安値で。母は幼い頃奴隷商人に捕らわれ、そして唐の高官に買われたそうですわ。幸い、母は美しゅうございましたから、良家に高値で引き取られたようで。

母の話によりますと、それは奴隷とは思えぬほど豪奢な暮らしだったそうです。長安にある大きな邸の一角に楼を与えられ、礼儀正しい使用人を与えられたとか。壮麗な調度品に囲まれて、高級な衣服や装飾品を浴びるように贈られたとか。奴隷というより、一人の愛妾としての暮らしだったそうです。労働とは無縁で、読み書きや音曲を習ったり、刺繍をしたり、茶を淹れたり、毎日どうやって時間を潰そうか困ったと申しておりました。
とはいえ、奴隷は奴隷。身分ある娘ではなく、金で買われた女であることには間違いありませぬ。高官の他の妻妾にはあからさまに軽蔑されました。それに、多くの異国人が出入りする長安でも、母の美貌は珍しいものでした。それゆえ、高官の来客に母は自慢の妾として披露され、ときには来客の伽を務めたと言います。所詮、奴隷は人ではないのです。物と同じ、金子で取り引きされる存在。饗される食膳と同じように、母も来客を喜ばせる趣向の一つでしかなかったのです。
母は高官との子を何人も産んだと言っておりました。高官はそれをたいそう喜び、その度に母にたくさんの贈り物を与えたそうです。しかし、母がその手で育てた子は一人としておりませぬ。皆生まれてすぐに他の妻妾の許へ引き取られたのです。奴隷の子ではなく、しかるべき女人の子とするべく。
母が産んだ子はどれも愛らしかったそうですが、高官は少々不満があったようです。母のように真っ白な肌や黄金の髪を持つ子は生まれず、暗い髪や瞳の子ばっかりなのが気に入らなかったようでした。高官は母のような容貌の子が欲しいと考え、今度は男の奴隷を買ってきたそうです。母のように白い肌と青い瞳、それに黄金の髪をした青年を。母は高官をはじめとする長安の男達から遠ざけられ、その黄金の髪の青年と子をなすよう命じられたのです。
ほほほ。そのように驚くことなぞございませぬ。申したではありませぬか。奴隷は人ではなく、物なのです。

しかし、母は物ではなく人ですから、心というものがございます。幸い母にあてがわれた男は母の故郷と近い生まれの者で、二人は唐の言葉でなく、故郷の言葉で会話をすることができました。お互いの境遇を慰め合ううち、二人は相手を愛おしく思う気持ちが芽生えたそうです。そして高官の思惑通り、母は孕むことができました。
おわかりでしょう? その孕んだ子が、私です。

高官の命で生まれたはずの私が、なぜ長安でなく京にいるのか不思議でございましょう。
母は幼い頃から高官の邸にいましたゆえ、そこから出ることなぞ恐ろしくて想像もできませんでした。しかし、父はなんとかして自由を得たいと企んでいたのです。母が私を産めば、私が二人から取り上げられるのは目に見えておりました。父と母は貧しくとも親子で暮らしたいと願い、高官の邸から脱出したのです。そして新羅から大宰府に向かう隊商に交じり、この国に渡って新しい生活を始めようと考えたそうです。
その道中、母は生涯で一番幸せなときを過ごしたと申しておりました。使用人に見張られることもなく、奴隷だと蔑まれることもなく、高官や他の男に嬲られることもない。愛する男の傍で旅をし、愛しい人の子が腹で育つのを楽しく見守る生活。母は、人間らしい生活と喜びを、そのとき初めて知ったのです。
しかし、幸せとは長く続かないものです。新羅の港までは順調であった旅も、大宰府へ向かう船が嵐に遭ったとか。御殿のように立派な船も嵐には勝てず、木端微塵となったそうです。海原へ投げ出された父は、海の底に沈みました。
母もそこで死ねたら、どんなに良かったことでしょう。皮肉なことに命あるまま浜に漂着し、おまけに私も無事だったのです。母は遭難したぼろぼろの身体のまま、なんとか竹藪で私を一人で産みました。それを拾ったのが讃岐造です。

母は初めて自分の手で我が子を──しかも愛しい男となした子を育てられることに、生きる希望が湧いたと申しておりました。なんとか自分で生きる術を見つけようと、言葉も通じぬ土地で必死だったといいます。
しかし、母の希望は讃岐造が打ち砕きました。母は見世物とされ、再び人ではなく物としての暮らしが始まったのです。おまけに母によって讃岐造が富裕になればなるほど、母は私から引き離されて生活させられました。そして生まれに相応しく、ぼろくずのように死んでいったのです。

讃岐造を恨んでいるか、ですって? さあ、どうでしょうか。死にかけていた私と母を救い、少なくとも私には人並みの暮らしをさせてくれたのには間違いございませぬ。恨むには筋違いというものでは。それに私がどう思おうと、母を人ならぬ扱いで遇したことに対しては既に酬いがございましょう。おそらく、身に過ぎた富と官位を持て余しているのではございませぬか。竹取として暮らしておれば、人々から軽蔑されることもございませんでしたでしょうに。

なぜ五名の求婚者とは結婚しなかったか、でございますか。簡単なことでございます。どの方も私のお願いした物を持ってきてくださらなかった。それだけのことでございますわ。
私は母の話を聞いて、頼りになるのは父が母に抱いたような強い愛情だけだと思いましたの。だからどの方が一番深く私を愛してくださるのか、確かめずにはお仕えすることはできなかったのです。
しかし要求した物がこの世にはない物ばかりでは願いを叶えようがないではないか、ですって? まぁ、ほほほ。簡単に手に入るような物では、強い愛情かどうか確認なぞできないではありませぬか。

その点、主上はまことに愛情深いお方でございます。私の生まれなぞお気になさらず、たいそう慈しんでくださいます。主上のようなお方にお仕えすることができて嬉しゅうございますわ。母も、草葉の陰で喜んでいるに違いありませぬ。

主上にお仕えしてこの先どうしようと考えているのか、などとは。
中将様はおかしなご質問をなさいますこと。

この先も、主上の愛情にお応えするべく一心にお仕え申し上げます。
ただ、それだけですわ。他に何がございまして?

 

関白太政大臣は

ほんに困ったことよのう……。
薄々気づいておったが、まことに主上は中宮にお手をつけられておらなんだか。しかも、中宮にも、主上はこの先も弘徽殿の方以外をお召しになる気はないと仰ったと?
冗談ではない。主上は我が家を何と思し召しなのか。

先の御代と違い、親王や内親王が次々とお生まれになるのは結構。だがしかし、お生まれになるのは、皆青い目と金の髪の御子ばかり。
最初は珍しがって面白がっていた者どもも、近頃ようやく不安を覚えてきたようだ。「いずれ我々は、黄金の髪をした帝を頂くのか」と。

弘徽殿の方をお迎えすると主上が仰せになったとき、主上は私にきつく仰った。輝夜姫以外を愛するつもりはない、不幸になるだけなので後宮に他の妃を入れるな。哀れに思うなら、中宮を降ろしても構わぬ、と。
まったく、普段は何事も臣下の言いなりの方が、よりにもよって後宮の運営にお口を出されるとは! 日頃おとなしい方だけに、頑固になると手がつけられぬ! 過去に後宮をご自身でどうにかしようとした帝がろくな運命を辿っていないことを、ご存知ないわけでもあるまいに!

しかし、中将よ。そなたが集めた情報で、輝夜姫が何を考えておるかは大体読めたわ。
大方、自身の血を皇族に流し込み、守ろうとしているのだろう。西の果てで翻弄された先祖から受け継いだ血を、安寧なこの国の、誰も手出しができぬ帝位へ注ごうとしているに違いない。

浅はかな娘よ。
車持皇子様が仰った通り、この国の帝位は既に皇族のものではない。摂関家のものだ。
我々の先祖こそ、いやこの儂も、この地位を守るために血で血を洗う争いを乗り越えてきた。それを一人の女が引っくり返せるとでも思うているのか。
いつかは輝夜姫も自身の思い上がりを後悔する日が来よう。
あの女の血が流れる者は皆、その姿に相応しく月に帰るがよい。