かぐやひめのものがたり 十五 車持皇子は

中将殿、珍しいこともあるものだな。
急な来客というからてっきり蔵人頭あたりかと思うていたが、そなたが我が家に訪ねてくるなぞ初めてのことではないか?
あの一件以来、私を訪ねてくる者はずいぶんと減って静かになったものだ。それが中将殿のようなお珍しい客人をお迎えするとは、不思議なものよ。

どれ、あとはよい。人払いをしてくれ。何かあれば呼ぶ。

輝夜姫が後宮に入って、そなたや父君はさぞや困っておろう。なに、中宮様も大変お嘆きと? 左様であろうな。今まで対立する女人なぞおらぬゆえ、さぞや心穏やかなお暮らしだったに相違ない。それが突然あのような女人に後宮生活をかき乱され、お気の毒というよりほかにない。
そなたの父君、関白太政大臣のことだ。未来の国母にせんがため、さぞや姫君を慈しまれ、大切に育てなさったことだろう。それがこんなことになってしまい、ふふふ、慌てふためく様子が目に浮かぶ。

だがしかし、摂関家で蝶よ花よと何の苦労もなく育てられた世間知らずの姫君には、所詮後宮で生き抜くことなぞできぬのだ。そなたの妹御にとってはきつい物言いかもしれぬが、中宮様が今まで安穏とお暮らしあそばされたのも、今上帝だからこそ。先帝、先々帝の御代では、美しくともおっとりしただけの姫君では、後宮での女人達の争いに敗れていたことであろう。

中将殿、そなたは妹君が中宮様でいらっしゃるし、縁戚には大后もいらっしゃる。主上の、そして私とも血がつながる身。並の貴族よりはよほど後宮に密接し、精通されていよう。
だが、主上や東宮、私のように後宮に生まれ育った者は、そなた達よりはるかに後宮がいかような場所であるかを知っておる。特に今上ではなく先の御代では后妃が多くいらっしゃったゆえ、女人方の争いは熾烈を極めた。私の母たる御息所が早うに亡くなったのも、当時の中宮──今の国母たる大后による嫌がらせのためと、まことしやかに噂が流れたものだ。
勘違いするなよ、中将殿。だからといって、私は皇太后様にも、そなたの一族にも、恨みなど抱いておらぬ。そなた達摂関家にしてみれば、一族以外の親王なぞ廃しておきたい存在でしかない。私がそなた達の立場であれば、同じように母上や私を除きたいと考えたであろう。母上は、それに耐えうるほどの気力をお持ちでなかっただけのことだ。後宮中の女人が切望する皇子出産も、身分によっては不幸を招くだけだな。

それに、主上と私は決して仲の悪い兄弟ではない。ふふふ、意外か? 左様であろうな。主上と私とでは腹違いだし、母上同士は険悪な仲。それに性格もずいぶん異なる。
私はこの通りいい加減で、享楽的で、女人にだらしない。そういう点では、先帝たる父上に似ているとよく言われる。
それに引き換え主上ときたら、真面目でおとなしく、真摯で、そのくせ頑固であらせられる。まあ呆れるほどに硬いお方なので、輝夜姫を手に入れるまでは童貞でいらっしゃったのではないかと噂しておったほどだ。ふふふ。そう嫌な顔をなさるな。悪い遊びの仲間内でのつまらぬ戯言よ。
それが仲の良い兄弟であったとは、意外であろう? しかし、女人まみれの後宮で、歳の近い身近な少年は、当時東宮であらせられた兄上しかいなかったのだ。まだ今の東宮がお生まれではなかったからな。
白粉と香の匂いで埋め尽くされた後宮は、巨大な香壺のようであった。その中に暮らす女人達は、表面は優雅で愛想良く美しくて華やかであったが、裏では悪しざまに人を罵り、酷く陰惨なことも平気でやる。中将殿は今上の後宮しか知らぬであろう。昔は、それは凄まじき場所であった。そんな場所に生を受けた我々兄弟が肩を寄せ合うのは、自然の帰結といえよう。女人やその背後にいる貴族達の注目から逃れられるのは、兄上と少年らしい遊びに興じている間だけだ。もっとも長じるにつれお互いの立場が理解できるようになると、無邪気に遊んでばかりもいられなかったがな。

そんな幼少時代を送ったせいであろう。主上も私も、女人に対して絶望している。ふふふ、おかしいか? そうであろうな、絶望しているのであれば、私のようにあちこちの女人に手を出すまい。
しかし、女人とはそういう生き物であると割り切っているからこそ、遊ぶことができる。それに、私が相手をするのは、後宮の后妃ではない。政治が絡んだ複雑な女人ではない。だからこそ気安く遊ぶことができ、ときには女人とはまことに良きものだとすら思える。
主上は、そうはいくまい。私は後宮から脱出することができたが、あの方にはそれが許されぬ。だからあそこまで硬いお方になり、女人に免疫がない分輝夜姫にのめり込んでしまわれたのだろう。
とはいえ、そなたにしてみれば、主上や私の苦労など物の数にも入るまい? 摂関家の中でも激しい争いがあるというではないか。主上の祖父君たる先の関白殿が亡くなったときは、跡目争いが凄まじかったと聞いておるぞ。そなたの父君は、本来であれば関白に就ける立場ではあるまい? 先の関白殿の長子ではないばかりか、脇腹のお生まれ。大后とは異母兄弟でいらっしゃる。それに、まだ先の関白殿の弟君はご存命であった。なぜそのような方が関白殿となれたのであろうな……。
まぁ、私には興味のないことだ。兄弟間や親戚中で殺し合って跡目を奪い合うなど、古の世から珍しいことでもなんでもない。それに、既に皇族と摂関家は切っても切れぬ間柄にあるゆえ、口出しできる立場でもない。何のかのと言いながら、私にもそなたにも同じ血が流れている。それどころか、摂関家に背けば帝など簡単に廃される。
帝位はもはや皇族のものではなく、摂関家のものだ。誰が帝位に就くかより、誰が摂関家の頂点に立つかの方が重要なことであろう。幸い、私はそれとは無縁の者。関白殿の嫡男たるそなたの方が、よほど過酷な運命を辿るであろう。ご苦労なことだ。

して、その関白太政大臣のご子息が、本日は何用でお越しに?
主上と輝夜姫の件か。

まったく恥ずかしいことだが、知っての通り、私は輝夜姫を得損なってからしばらく身を隠しておった。笑いものにされているのを見聞きするのも疎ましかったし、何より朝廷にも偽りを申しておったからな。だがいろいろな方が帰京を勧めてくれ、中でも主上から再三参内するようお言葉を頂いたゆえ、恥を忍んでこうして京に戻ってきた。
都に戻ってすぐ、私は主上の許に参上しお詫び申し上げた。主上はお怒りになるどころか、たいそう面白そうに笑っておられた。そして、久しぶりだからと仰って、清涼殿で食事を一緒に摂るようにお命じになった。我々がまだ童の頃のように、ただの気安い兄弟のごとく。
主上は食事をお召しになりながら、事の顛末をご下問になった。仕方ないので、私はありのまま、輝夜姫にまつわる件の仔細を奏し上げたのだ。どうせかく恥ならば、ちょっとかくのもだいぶかくのも大して変わらぬと思うてな。すると主上は私の滑稽な話をたいそうお笑いなさる。「二の宮らしくもないしくじりをしおって」などと仰りながら、大笑いされた。あまりに面白がられて、箸がちっともお進みにならないほどだ。しかし、私は主上に笑い飛ばしていただいたおかげで、自分の失態が滑稽な笑い話として決着したような気がして、安堵もした。
主上は「では二の宮は、玉の枝とやらを採りにまことに蓬莱山へ出立するか?」などと冗談を仰る。とんでもない、輝夜姫なんぞには二度と関わりたくのう存じますと奏し、その話はそれで終わったと思うておったのだ。

しかし、しばらくすると主上からお召しがあった。急ぎ殿上すると、珍しくお人払いをされる。そのうえ、主上は何やら御気色がよろしくない。何事かと思い訊ね申し上げると、主上は渋い顔をされながら仰った。なんと、輝夜姫がいかな女人なのかが気になり、内侍に命じて讃岐造の邸に遣わしたというではないか。あのような場所に勅使が出されたというだけでも驚いたのに、輝夜姫は勅使の命を無視したという。主上は、
「そなた達皇子や公卿が散々な目に遭ったというのが、ようわかったわ。まさか勅命にも従わぬ不遜な女人とは思わなんだ」
などと仰せになった。
左様、あの姫とは関わらぬ方がよかろうと奏し上げたが、内心私はひどく驚いていた。わかるであろう? 幼い頃より、主上から特定の女人に関してお話があったことなぞ、ない。それが初めてだったのだ。

こう言うてはなんだが、主上の真面目さを少々心配しておった。戯れに女人を弄ぶことがないのは誠実で結構なことだが、主上にはお世継をもうけるという重要なお役目がおありになる。むやみと親王がいるのも争いの元だが、我々の世代のように親王が少ないのも心もとない。疫病でも流行れば血が絶える可能性があるからな。そうなると、また古の世のごとく戦乱の元となりかねぬ。
だから主上が女人にお心を寄せて、それを機に女人というのも悪くはないとお思いになるのは、それ自体は結構なことだ。だが、相手がしかるべき身分の姫君ならともかく、相手はあの輝夜姫だ。下賤の身のうえ、妖しい姿をし、したたかな女だ。できればこれで輝夜姫のことはお忘れになっていただきたい、関わっていただきたくはない、と願うておった。

しかし、そんな願いというものは叶わぬものだ。しばらくして再度主上のお召しがあったとき、主上はたいそうやつれておいでになった。一目玉顔を拝しただけで、恋の淵に溺れてしまわれてしまっているのがようわかった。
それも、とんでもなく深く。

主上はお人払いをされた後、苦しそうに私に仰った。
「あの後、そなたや内侍の言う通り、輝夜姫のような無礼な者のことなぞ打ち捨てておこうと思うた。卑しい身分の者だ、罰を与えるまでもない。放っておけばいい、と自分に言い聞かせた。だがその一方で、勅命に背くような不遜なことを習慣づけていいはずがないという思いは消えず、そしてそなたが申しておった輝夜姫の容貌が目の前にちらついて離れぬ。果てには夢にまで出てくる始末だ。毎日毎夜、輝夜姫のことばかりが頭を占めている。
笑うてくれ、私はようやく恋というものを知った。だが、これほど苦しいものとは思わなんだ。二の宮よ、かようなことを言えるのはそなただけだ。私はどうすればよいのだろう……」
主上は、憔悴しきっておられた。それを拝し、私はずいぶん切ない思いにとらわれたものだ。なぜ主上の恋のお相手が中宮様でなく、よりにもよって輝夜姫なのだろうと、哀しくなったものだ。主上の仰せ事といえ、主上のお耳に輝夜姫のことなぞ入れねばよかったと後悔した。私は散々迷ったが、奏し上げた。
「左様に恋にお悩みになるのは、主上も天上人とはいえ一人の男としての心と身体をお持ちのことゆえ、自然のことでございます。日頃近寄りがたいほどに真面目でいらっしゃる主上の意外な一面を拝すると、親しみが湧くほどでございます。しかし、お相手があの輝夜姫というのはいかがなものかと。
東の市の見世物、あれは確かに餌でございました。見世物になっていた女を餌とし、讃岐造と輝夜姫は富貴な婿を手にせんと企んでいるのだろうと、私はそう考えておりました。しかしこうなってみると、我々五名こそが餌だったのでしょう。名だたる貴人を袖にすれば、その評判が主上のお耳に入ると考えていたに違いありませぬ。
だが、輝夜姫が主上のお傍に侍り、それによって何を企んでいるのかは、正直なところ私にもわかりかねます。ただ単にこの国で一番高貴な方にお仕え申し上げたいだけなのか、それとももっと別の目的があるのか。それがわからぬ以上、主上を輝夜姫に近づけるのは賛同し難いものがございます。私が輝夜姫に未練があってこのように奏し上げているとは、決して思し召されるな。あの姫には散々な目に遭わされたからこそ、主上のことを心配申し上げているのです」
主上は私の言葉をお聞きになり、しばらく何やらお考えあそばしていた。私は、黙って主上のお言葉を待った。待つしかなかった。輝夜姫なぞ忘れるという、主上の言葉を待つしかなかった。だが、主上のお言葉は、違った。
「二の宮の心配は、もっともなことだ。私も、そなたが言うことはよく理解できる。だが頭で理解できても、心がついてこぬ。このまま輝夜姫に逢わずにいると、焦がれて死にそうな心地すらする。愚かなことだと自分でもわかっているが、これが恋というものであろう?」
そのお言葉を聞き、私も覚悟を決めたのだ。

私は清涼殿からわずかな供だけを連れ、主上をお忍びの狩りと称してこっそりと内裏からお連れ出し申し上げた。女房や蔵人は慌てふためいておったわ。普段お忍び歩きなぞせぬお方ゆえな。だが忍び歩きには慣れている私がお付き申し上げるとわかって、なんとか主上を送り出しおった。当然向かった先は、狩り場などではない。讃岐造の邸だ。供をしていた者は、邸に近づくにつれ青ざめておった。主上が輝夜姫に関心をお示しになっておられたことを知らぬ者はない。だが、私は焦る従者を無視し、主上の御輿を讃岐造の邸に入れ申し上げた。
押し入られた讃岐造の邸の者達も慌てふためいておった。お忍び用とはいえ、貴人の輿が突然やってきたのだ。驚くなという方が無理な話だ。おまけに、私は出入りしたことがあるので、邸の者は私を見知っている。皇子たる私がお供申し上げているのが誰かはわかぬが、只者ではないことくらい見当がついたのであろう。使用人達が茫然としているのをいいことに、私は主上を御輿からお降ろしして、さっさと邸内にお連れ申した。なに、ある程度は勝手がわかっている邸だ。案内なぞ不要だった。
讃岐造とその妻も慌てておった。「車持皇子様、これはどうしたことです」などと言って震えている。私が「畏れ多くも主上の行幸なるぞ」と言うと、老人達は腰を抜かしておった。
その隙に、私は輝夜姫が奥にいると思われる御簾をさっさと巻き上げた。果たしてそこに輝夜姫は座っておった。姫は少しも驚いた様子などなく、冷静な態度でそこにいた。扇で顔を隠そうともしていない。以前私が見た鈍色の表着ではなく、鮮やかな濃紅であった。輝夜姫の金色の髪と白い肌、青い瞳が美しく映えていた。

久しぶりに見た輝夜姫の姿は、やはり美しかった。だが、同時に私は恐ろしさを感じた。
いや、本当は輝夜姫を最初に見たとき、あの女の冷やかな目にそれを見つけていたはずだが、私は姫の美貌に惑わされ、それを無視していたのだ。こうして痛い目に遭った後に改めて輝夜姫を見ると、その姿はただただ恐ろしいだけだった。
だが、主上は感激なさっていた。夢にまで見た恋しい女を目の当たりにされ、それがご想像以上に美しいのでは無理もない。「輝夜姫よ、そなたを内裏に連れて帰る」と仰って、お手ずから輝夜姫を抱き上げておしまいになられた。
あれほど主上の仰せに否やと言うてた輝夜姫は、主上の腕ではおとなしゅうしておった。それを見て、私はやはり自分の行動が誤っていたかと思うたが、もはや引き返せぬ。腰を抜かした讃岐造らを後に、主上と輝夜姫をさっさと御輿にお乗せし、速やかに内裏にお連れ申し上げた。

あとは、そなたも知っての通りだ。主上は輝夜姫に夢中におなりだ。ふふふ、真面目なお方だけに一途になられると半端ではないのう。政務に影響が及ばぬためには、関白殿は主上の我儘を受け入れるよりほかになかったのではあるまいか。日頃は何事も関白殿や公卿の奏上を重んじるお方の、お珍しい我儘だ。普通の内容であれば快く聞いて差し上げたいところ。しかし、此度ばかりはそなたの父君もさぞや苦慮されたことだろう。

私が輝夜姫に恋い焦がれていたか、と?
中将殿、そなたもおかしなことを訊く。そのようなこと、関白殿はつゆほども興味あるまいに。

そうだな……。
私は幼い頃から後宮の女人達に囲まれて過ごしておったから、女人の心をつかむ術は心得ておった。少々興味をもった女人はすべて我が物としたと言うても過言ではあるまい。
だが、それは退屈な遊戯だ。勝つとわかっている勝負の何が面白かろう。それでも愚かで可愛い女人との遊戯は、やめられるものではない。
私の思う通りにならなかったのは、輝夜姫だけだ。私は女人を得るのにあれほど苦労をしたことはない。そうだな、それは面白かった。何をどうすればよいのか、どの女人に対してよりも考え抜き、手間も金もかけた。そして輝夜姫は、それだけする価値がある美貌の持ち主だとも思うていた。少々強情なところも、姫を征服したときの達成感を想像するとぞくぞくさせられた。

だが、それが恋なのか、正直自分でもわからぬ。

主上のように、今生も来世もこの女人と思い定め、比翼の鳥とも連理の枝ともならんと一途に思う気持ちとは、違うような気もする。
それは輝夜姫が底知れぬ恐ろしさを秘めた女と気づいてしまったせいなのか、それとも元々そんな想いなぞ抱いていなかったのか、それはわからぬ。

中将殿。無責任なことを言うと思うかもしれぬが、私は主上が少々羨ましいと思うているのだ。
あれほどまでに一人の女人を深く愛するなど、私には経験がない。主上のご様子を拝していると、輝夜姫のためであればまことに帝位をお捨てになることも辞されぬだろう。何もかも捨ててでも愛すると誓える女人に出会えたというのは、幸せなことだ。その相手が輝夜姫であったというのは、周囲の者には不幸なことだがな。

それに引き換え、私は恋など知らぬ男なのかもしれぬ。主上よりもずっと大勢の女人を知ってはいるが、あそこまで焦がれた相手はおらぬ。
せっかくこの世に生を受け、後宮という怨嗟に満ち満ちた場所から離れて自由になれたのだから、主上のように人生を賭けた恋をしてみたいとすら思うてしまうのだ。
もっとも、代々の后妃の怨嗟で、私はそんな恋なぞに巡りあえぬかもしれぬがの。