かぐやひめのものがたり 十 蔵人頭は

おや、これはご無沙汰をしております。
はて、しばらくお見かけ申し上げませんでしたな。御物忌みでも続いておられましたか?

しかし、お珍しいこともあるもので。禁裏での行事ならともかく、右大臣家での宴なぞ、あなた様は今まであまりお顔をお見せになられなかったのに。そうですか、本日はお父上のご名代で。して、お父上は? ああ、御物忌みですか。……ということになさっているのですか。ふふふ。まぁ無理もございませぬ。

右大臣家でこうして宴が張られるのも、久方ぶりのことですなぁ。例の一件があった頃は、大臣もしばらく鳴りを潜めていらっしゃいましたから。大方、北の方にお灸でもすえられていたのでしょう。例の入内で右大臣様に対する世間の噂も下火になりましたし、ようやくお許しが出たのですかね。

しかしまぁ、相変わらずこちらのお邸の宴といったら、華やかなこと。ええ、正直申しまして、派手好み過ぎて辟易しますな。
大体が、本日は暑さを慰めんがための納涼宴という趣旨ではございませんでしたかな。それがなんです。まず右大臣様のお召し物の暑苦しさ。もちろん松重はいつお召しになってもようございますが、それにしたって季節の宴にあれはございませぬな。女房どもにも揃いの襲を着せておりますが、蘇芳の匂。祝い事でもあるまいし、あれなら撫子の方が季節感があってようございましょう。
それに引き換えあなた様の直衣の卯花の涼やかなこと。いやいや、私の花薄の方が清涼感があるなど、とんでものうございます。季節を先取りしすぎて、ちと滑稽でお恥ずかしゅうございます。
やれしかし、装束もさることながら、ほかの趣向も重うございますな。どれ、あのきらびやかな竜頭の船。あれだけ大きな物はこちらのお邸で拝見したことございませんから、わざわざ誂えなさったのでしょう。楽人の衣装をご覧なされ。糊が効きすぎて、演奏がしづらそうではございませぬか。
ええ、まったく。九の膳まで出されても、この暑さでは食べろという方が無理な話で。これで暑さを逃れようだなんてできませぬ。ひいひい言いながら食事をし、汗をかく一方でございます。ご機嫌なのは、釣殿にいらっしゃる右大臣様ばかりなり、と。

本日は車持皇子様はお越しになっていらっしゃらないのか、と?
やれ、なんとまぁ不敵なお人だ。このお邸で宮様のお名前を出す度胸のある方など、あなた様くらいのものですよ。例の件がございましたから、右大臣様がお招きするはずがございませんでしょう。

どれ、そのお話をなさるのであれば、私の邸にでも座を移しませぬか? お招きできるような邸ではございませぬが、ここからは程近い場所にございますし、この席よりはお寛ぎいただけましょう。
なに、右大臣様の取り巻きの年寄り連中はともかく、若い貴族達はそろそろ抜け出し始めている様子。我々もそれに乗じて辞去いたしましょう。お父上のご名代といえど、こうして右大臣様にお顔をお見せになっておりますゆえ。義理はご立派に果たされておりまする。

……さて、お越しいただいてありがたいことではございますが、ほんに恥ずかしいほどの安普請。
え? 今をときめく蔵人頭の邸、小振りながらも行き届いていて快適ですと。それは身に余るお言葉ですな。あなた様のお邸に比べたら大したものでもありますまい。とはいえ、うるさい老人どもはここにはおりませぬ。冷やした酒でも召し上がって、どうぞごゆるりとお寛ぎくださいませ。

しかし、車持皇子様がいらっしゃらないとなると、ああした宴での盛り上がりが欠けまするな。
いやいや、もちろん、あなた様のような当世を代表する美しい公達がいらっしゃると、それだけでもう座が華やかになり女房どもの喧しいことございませぬ。しかし、宮様は後宮の水で育ったお方。遊びというものをよく心得ていらっしゃる。美しさ、雅さだけを比べれば、宮様とあなた様は甲乙つけ難い。しかし、あなた様はお父上のご教育のせいかご家門のためか、真面目なところもおありでいらっしゃる。片端からめぼしい女人に手をつけなさる宮様には、好きという点では少々遅れを取っていらっしゃるかもしれませぬ。
遊びなら蔵人頭も負けてはおらぬだろう、ですと? ご冗談を。私なんぞ、宮様の足元にも及びは致しませぬ。まこと、あの方ほど風雅を体現なさっている方はおりませぬでしょう。足らぬところはなく、過ぎたることもない。
以前は私の悪友どもと始終夜っぴて宮様のお相手をいたしました。なに、他愛のないことでございますよ。碁や双六に興じたり、女人について語り明かしたり、宮中の鼻持ちならん女房に偽の恋文を皆で書いて送って返事を笑いものにしたり、羅生門まで行って肝試しなんぞしたこともございましたな。
しかしどの座でも宮様は気の利いたことを仰って私達を笑わせなさり、御自ら面白い趣向を思いついてはその場を楽しみなさっていた。宮様の無聊をお慰めするはずが、逆に宮様に私達が楽しませていただいておりました。無聊と申しましても、あちこちの女人にお通いあそばす合間のことですから、朝が近づくと宮様もさすがにお疲れになって少し居眠りをなさることもしばしばございました。脇息にこんな具合でもたれられながら、こっくりこっくりと舟を漕がれるのです。そのご様子がまた妙に艶めかしく、女人ならずとも見惚れるほどでございました。

ああ、そうです。そういった悪ふざけの中に、東の市へのお忍びもございました。
あれも、今日のように暑い日でございました。まだ日の高い時間にふと思い立って宮様のお邸に参上いたしますと、宮様は何をされるというでもなく、寝殿から前栽を眺めて過ごしていらっしゃる。単に薄い衵を引っ掛けられただけのお姿で、蝙蝠扇をゆったり煽がれていらっしゃいました。
烏帽子は被っていらっしゃったので私が参上したことはお聞き及びのはずですが、ほんに日頃お一人で寛がれているままのお姿で私をお部屋に通しなさったのです。それがまた、涼やかな縹の衵にお手入れの行き届いた鬢、きちんとされたお化粧という美しいご様子で。そのお姿を私が惚れ惚れと拝見しておりますと、なんとも艶やかなお声で「この暑いのに直衣の襟なぞきっちり絞めて、ご苦労なことだな」なぞ呟かれるのですよ。私は邸に一人でいるときなんぞ、汗をだらだら流しながら裸同然の格好で涼を取っておりますがね。
しばらく四方山話をしていると、市での見世物の話になりまして。噂話について耳のお早い宮様ですが、さすがに庶民のお話はまだご存知でいらっしゃいませんでした。それではせっかく時間があることですし早速お忍びで参りましょうと、私からお誘い申し上げた次第です。
畏れ多いことですが私の車に宮様をお乗せ申し上げ、市の近くに車を停め、徒歩で見世物をしている場所まで行きました。その頃はまだ貴族に噂が広まり始めた頃で、宮様のお供をしたときは、見物人は皆庶民だったと思います。
何しろいくら身をやつされていても、宮様が貴人であることなど一目でわかってしまいます。私も宮様に水干をお借りしておりましたが、二人とも目立って仕方ありませんでした。それからしばらくすると、貴族も車で堂々と乗りつけたらしいですな。その頃お供をすれば宮様に市で歩いていただくなんてことをせずに済んだのでしょうが、ひどい混雑で見物どころではなかったともいいますから、まぁやはりあのときに行っておいて正解だったのでしょう。

はい。宮様がお越しになったときも、その見世物はたいそうな混雑ぶりでした。しかし宮様のあのご風格ですから、見物人どもは自然と宮様に道をお譲りするような格好になりまして、そのため宮様も私も最前でそれを見ることができたのでございます。

おや、あなた様はご覧になっていないと? 左様でございましたか。ええ、それは奇妙な女でした。はい、間違いなく女です。
襤褸の単を着ているだけで、細い肩や痩せたりとはいえ乳房が女人であることを物語っておりました。
だが、同じ人間とは思えぬ風貌でございました。色は雪のように白く、眼窩はくぼみ鼻が高く、瞳は空のように青い。
何より、満月の輝きのような黄金の髪の色をしておりました。

その女は大きな竹の籠に籠められて、いかつい男が見物人から銭を取っておりました。
男が言うには「これは月の人間だ」なぞ申しておりましたが、まこと月の者でもなければあのような姿はありえぬと思うてしまうような容貌でございました。なに、その口上を述べていたのは翁かと? いいえ、若く頑健そうな男でしたよ。

月の女は美しかったかって? そうですね……。ううむ、どうですかな。
いや確かに、少なくとも京にはおらぬ姿の女人ゆえ、珍しゅうございました。が、美しいかどうかと問われますと……。あのくっきりした顔立ちは好まぬという男もいれば、青い瞳は何を見ているのかわからぬと思う男もおりましょう。
何より、その女はひどく身体が弱っている様子でした。このような暑さで連日見世物になっているようでは、病を得ても無理もないことです。長い手足は痛々しいほどに細く、顔は白いどころか青ざめており、目の下には隈がくっきりとして、肩でようよう息をしている有様です。
先は長くないと一目でわかる風情でしたが、不思議と目には力が宿っており、面白がって見ている見物人をきっと睨みつけておりました。それゆえ眉間に皺が刻まれ、険しい表情を浮かべっぱなしです。興味深くしげしげと眺めて囃し立てる見物人もおりましたが、「恐ろしい鬼じゃ」と言って逃げていく者も多うございました。私も美しいと思うより、恐ろしさが先に立ちました。

宮様のご様子ですか?
はい、さすがに宮様もあのような容貌の女人をご覧になるのは初めてのことでございましたのでしょう。珍しく驚いたようなお顔をされ、じっと月の女に見入っておられました。
女も宮様が他の見物人と何か違うと気づいたのでしょう。宮様に気づくと、それまでより一層厳しい顔で宮様をずっと睨めつけておりました。
私は少々空恐ろしい気分になりました。ほれ、満月の光を浴び続けてはいかぬというではありませぬか。月の女も見続けていては魂を抜き取られやせぬかと心配になったのです。
私が宮様に声をかけますと、宮様はようやく正気を戻されたようなお顔をされ、見世物を開いていた男に気前よく銭をやってその場を立ち去られました。
すると、やはりあれはじっくり見てはいけない女だったようです。車まで戻る道すがら、私はいやはや珍しいものでしたなぁなどと申し上げましたが、宮様は「ああ」だの「うむ」だの気のないお返事ばかりで。いつもの機転の利いたご様子なんぞ微塵もございませんでした。悪ふざけが過ぎたかと気が咎めたものです。

それからしばらくは、月の女について宮様とお話しする機会はございませんでした。が、その後すぐに宮中に噂が広まって、あのように貴族もこぞって東の市に出かける有様となったのです。私は宮様の常ならぬご様子を拝見した手前、月の女の噂については少々敬遠しておりました。するとあるとき、宮様の方から私にお声をかけられたのです。殿上の間でたまたまお会いし、一緒に辞したときに宮様が仰いました。
「蔵人頭、知っておったか? あの東の市の月の女は死んだらしいぞ」
ええ、私はまったく知りませんでしたので驚きました。私がびっくりしておりますと、宮様はそれが面白かったのでございましょう、「耳の早いそなたが知らぬとは」とお笑いになって、続けて仰るのです。
「あの女は死んだが、あれと同じく月の女がもう一人いるらしい。京の外れの讃岐造なる人物の邸にいるそうだが、そなた讃岐造とは何者か知っているか?」
とご下問になりました。いえ、当然そんな者は知りませぬ。宮様にそうお答え申し上げますと、そなたでも知らぬのでは大した人物ではないな、というようなことを宮様は仰せでした。
すると宮様は讃岐造の邸について調べさせていらっしゃったらしく、今からその邸に行ってみようと仰るのです。私は例の市の件で、月の女に宮様を近づけるのは少々躊躇いがございましたが、宮様の仰せに従わぬわけにもいきませぬ。仕方なく──もちろん私自身の好奇心もございましたが──仰せの通りにお供させていただくことにいたしました。ええ、そのときは内裏から宮様のお邸にお邪魔して、狩衣をお借りいたしました。何しろ二人とも参内のときの姿ですからね。私なんぞ束帯でしたから、まさかそれでお忍びというわけにはまいりますまい。

今度は宮様のお車で讃岐造の邸まで参りました。牛飼童と、宮様の従者一人という身軽な体です。あの日は雨が降っておりまして、まだ時間が早いというのに雲が厚く、どんよりと暗い日でございました。お忍びでのお出かけには絶好と申せましょう。
しかし驚いたことに、そんな天候にも関わらず、讃岐造の邸の周囲には黒山の人だかりができていたのです。東の市での賑わいがそのまま移ったような有様です。門番と押し問答をする者、透き見をしようとする者でごった返しておりました。しかし宮様は怯むことなく、邸に近づこうとなさいます。宮様の従者──これは宮様の乳兄弟で宮様の腹心の部下ですから、そんな折にも手慣れたものです。私が呆気に取られている間に、「どけどけ」と人垣をのけて宮様を門前に導いてしまいました。
見ると、門ではいかつい男が番をしております。ああ、東の市で見世物を開いていた男でした。大方、讃岐造に雇われて市でも興行をしていたのでしょう。従者が「讃岐造にお取次ぎ願いたい」と言うと、門番は「何人たりとも通さん」と言います。従者は門番の不遜な態度に腹を立てておりました。しかし、驚いたことに宮様御自ら門番にお言葉をおかけになったのです。
「私は身分あるゆえここでは仔細は話せぬが、何としても讃岐造殿にお目にかかりたい。何とかそなたからつないでもらえぬか」
ええ、私も従者も仰天いたしました。物のわかる人間であれば、宮様のご様子からしてただのお方ではないことくらい容易に察することができます。そのようなお方が下賤の者に頼むような物言いをされたのです。けれど、その門番はあまりにも物知らずの卑しい男でした。畏れ多くも宮様のお言葉を笑い飛ばし、
「何度か来たら考えてやってもいいぜ。あんたのご面相は女みてぇに綺麗だから、そのうち俺も覚えてやるよ」
などと申すのです。これには従者が腹を立て太刀に手をかけましたが、宮様がそれを制しました。従者は「あんな無礼者斬ってやればよろしいのです」と息巻いておりました。けれど宮様は飄々としたもので、「あのような卑賤の者の言うこと、まともに捉えていては馬鹿馬鹿しい。犬が吠えたと思うて打ち捨てておけ。大体が、あの大男と嗜み程度にしか剣術をやっておらぬそなたとでは、勝負にならぬわ」と諌めておいででした。

宮様は門番のことなぞ問題にもしていらっしゃいませんでしたが、讃岐造についてはお腹立ちのご様子でした。
「いかな人物かは知らぬが、誰も通さぬとは思い上がりも甚だしい。よかろう、讃岐造とやら、それにもう一人の月の女とやら。必ず鼻を明かし、無礼な態度を改めさせてやる」
そのときの宮様のご様子……。あのような御目をなさった宮様を拝見するのは、初めてでございました。いつもは優雅な宮様が、まるで兎を見つけたときの狼のような目つきをなさったのです。

そのとき初めて、宮様は今まで退屈なさっていたのだと私は気づきました。
この上ない高貴なお血筋、当代一の美貌、類稀なご才覚。常人には驚くばかりですが、宮様はそのいずれもたやすくお手にされ、高貴で美しい女人も皆が皆宮様のお言葉になびくのです。
宮様は、初めてご自分のお言葉に背く月の女に恋心というより、闘争心をお抱きになったのでしょう。それが宮様をあそこまで駆り立てたに相違ございませぬ。

最近の宮様でございますか?
さぁ、それがとんと。例の一件で山籠りをなさって、主上からお召しを受けて帰京された際ご挨拶はさせていただきましたが、最近は悪ふざけなんぞせずおとなしうおなりになられて。まぁかくいう私や他の悪友どもも人の親となり、若い頃よりは官位も上がってしまいまして、無茶苦茶に遊び回ることもしなくなりました。
もちろん宮中などでお会いしましたときは気軽にお声をおかけくださいます。しかし例の話を振りますと、苦笑いなさって別の話題にすり替えてしまわれますから、さすがの宮様もよほど懲りたとみえますな。これを機にご自身や北の方を大事にあそばされるのがよろしいかと。ええ、いまだ高い皇位継承順位にあらせられる方ですから、月の女なんぞにかまけていらっしゃるのはいかがなものかと存じます。ははは。私のような者が申し上げるのも、何やら説得力に欠けますな。
そういうわけで、その後の詳細については、私もあまり聞かされておりませぬ。一番良く存じ上げているのは、先ほど申し上げた宮様の乳兄弟ではないでしょうか。何しろ、作物所の工匠どもと隠れ住んだときもお供していたといいますから。

あなた様のようなお立場ではわからぬでもございませぬが、あまり輝夜姫に関しては深入りなさらない方がよいかと存じますぞ。いや、これこそ私が申すのもおこがましいことではありますが。
しかし、五人の皇子や上達部を散々な目に遭わせ、主上をはじめ宮中を騒がせている。
まこと月の女か鬼でもなければ、あんな騒ぎを引き起こしますまい。