今日も何の変哲もなく 8

午前七時。

枕元に置いておいたiPhoneが鳴る。
水野さんからのメールだ。

あれから、水野さんはときどきメールを寄越してくる。
内容は、美味しいお菓子屋さん情報。お店の名前とURLと、「ここのシュークリームは皮がさくさくで絶品です」とか「夏季限定の水饅頭がお薦めです」とか水野さんの評論。
返しようがないのでほとんどのメールはそのまま放っておくのだけれど、水野さんは特に気にしていないらしい。そのうち、また「昔ながらのショートケーキが美味しいです」なんてことを書いて送ってくる。
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今日も何の変哲もなく 7

スーパーへ行く途中、道路の隅にはまだ雪の塊が残っていた。
雪が上がってから数日は晴天が続いているが、空気はひんやりとしているようで日陰の雪はなかなか溶けない。

平日の昼間の商店街は、驚くほど活気がある。八百屋、フルーツショップ、肉屋、魚屋、米屋、クリーニング店、花屋、豆腐屋、本屋、コーヒー豆専門店。仕事を辞めて暇になってからはたまにこういう個人商店を使うようになった。揚げ立ての唐揚げをおまけしてくれたり、コーヒーの試飲をさせてもらえたり、面白いこともある。
今日はいろいろと買う物があるので、スーパーへ向かった。雪で買い物をサボっていたので、冷蔵庫が空に近い。野菜も肉も卵も買わなきゃいけないし、トイレットペーパーもそろそろ買っておきたい。
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今日も何の変哲もなく 6

電車の窓から見える空はグレーの雲が厚く垂れこめていて、ビルと雲との距離がやけに近い。
完璧なまでの冬の空。

電車の中に居ると、外の寒さはよくわからない。コートで着膨れした人が大勢いて、ご丁寧に暖房までかかっている。暑いくらいだ。
車内の吊革広告は、クリスマス一色だ。クリスマスセール、クリスマスディナー、クリスマスケーキ。近くに立っている若いカップルが、旅行会社のポスターを見て「グアムがいい」「ハワイがいい」と楽しそうに話している。大学生だろうか。
自分もああやって恋人と遊びに行く計画を立てるのが楽しいときがあったなあ、なんて思ってしみじみした。今は羨ましいとも思わない。ばばくさくなったものだ。
私は、目的地の駅で降りた。
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今日も何の変哲もなく 5

午前九時。

幼稚園のお迎えのバスがマンション前にやってきて、先生と園児が「おはようございまーす」とやり合っている。

私は羽毛布団の中で、次第にはっきりしてくる意識を観察していた。
子ども達がわちゃわちゃとはしゃぐ声が収まって、小さなバスのエンジン音が遠ざかる。今日はママ達のお喋りの声が聞こえない。寒くて早々に引き上げてしまったのか。
トイレに行きたくなって、身体を起こす。
今日は一際寒い。
夜中と同じようにフリースを羽織り、スリッパを履く。トイレまでのほんの数歩がだるい。トイレの中で自分の身体の熱さと脇の痛みに気づいた。
熱がある。
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今日も何の変哲もなく 4

実家から段ボール箱が届いた。
名目は、先日両親が京都旅行に行ったのでお土産を送るということだったのだが、それにしてはえらく大きな箱が届いた。

開けてみると、ニンジン、玉ねぎ、缶詰いろいろ、大量のサツマイモ、レトルトカレーがいくつか、インスタントのカップスープ、乾物あれこれ──切干し大根とかひじきとか乾燥ワカメとか、それに申し訳程度にマールブランシュのクッキー。
無職になった娘を気遣ってくれているのだろう。でも、離婚してひとり暮らしになったということは頭から抜け落ちているらしい。こんなに大量の食べ物、どうしたらいいのやら。
救いは日持ちがする物ばかりだということだ。
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